吉田ルイ子

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よしだ るいこ
吉田 ルイ子
生誕 (1934-07-10) 1934年7月10日
日本の旗 日本 北海道室蘭市
死没 (2024-05-31) 2024年5月31日(89歳没)
日本の旗 日本 東京都
国籍 日本の旗 日本
出身校 慶應義塾大学法学部政治学科
職業 写真家ジャーナリスト
公式サイト http://ruiko.starfree.jp/
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吉田 ルイ子(よしだ ルイこ、1934年7月10日[1] - 2024年5月31日)は、日本写真家ジャーナリスト

北海道室蘭市出身。父親は鉄鋼会社の重役であり、裕福な家庭に育つ。小学校時代に同じ学校に通っていたアイヌの生徒への差別を目の当たりにしたことでジャーナリストの道を志す。東洋英和女学院中学部・高等部を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。

NHK国際局の嘱託を経て、朝日放送にアナウンサーとして勤務。1961年、フルブライト交換留学生として渡米し、オハイオ州立大学コロンビア大学で学び、フォトジャーナリズム専攻で1964年にコロンビア大学より修士号を取得した[1]

コロンビア大学在学中に、リベラルの白人男性と結婚。新生活のために大学の住宅相談室を訪れたところ、職員から「ハーレム(ニューヨークの黒人居住地域)の治安を良くするために、コロンビア大学の社会福祉科が市と協力して、コロンビア大学の学生夫婦をハーレムに住まわせるというプランがある。格安でハーレムのアパートに住むことができるので、参加してみないか?』と提案され、許諾。ハーレム内のアパートに引っ越しそこで暮らし始める[2]

ハーレム在住中に撮った、そこで暮らすありのままの黒人たちや街の風景の写真が高く評価され、1968年に公共広告賞を受賞する[2]

1971年に帰国。翌1972年、東京都渋谷区百貨店で写真展「ハーレム―ブラック・イズ・ビューティフル」を開催した。編集者の熱心なすすめにより、同年、1960年代のハーレムで暮らした体験とそこで撮った写真を収めたルポルタージュ『ハーレムの熱い日々』を出版[3]

1982年サンリオ映画『ロングラン』で監督を務めた。

2002年くもん出版の教材誌「めざせ!21世紀の国際人1 国際平和をつくした日本人」に掲載した。

九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人[4]、「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めた[5]

2024年5月31日、胆管がんまたは老衰のため東京都内の介護施設で死去。89歳没[6][7]

受賞

著書

  • 『ハーレムの熱い日々』講談社、1972年 / 講談社文庫、1979年 / ちくま文庫、2024年
  • 『ハーレム 黒い天使たち』講談社、 1974年。木島始・文
    • 『ハーレム 黒い天使たち』(復刻版)TODOROKI / NLP Inc.、2010年
  • 『ぼくの肌は黒い』ポプラ社、1978年
  • 『自分を探して旅に生きてます』講談社文庫、1983年
  • 『LUV 時さえ忘れて 日付のない日記1965-1983』冬樹社、1983年
  • 『世界おんな風土記』旺文社文庫、1983年
  • 『女たちのアジア』旺文社文庫、1984年
  • 『サンディーノのこどもたち―私の見たニカラグア』大月書店、1985年
  • 『吉田ルイ子のアメリカ』講談社文庫、1987年
  • 『フォト・ジャーナリストとは?―撮れなかった一枚の写真』岩波書店<岩波ブックレット>、1987年
  • 『南ア・アパルトヘイト共和国』大月書店、1989年
  • 『アパルトヘイトの子どもたち―僕たちは怒っている』ポプラ社<ポプラ社教養文庫>、1990年
  • 『南アフリカの新しい風 MASAKANE』大月書店、1995年
  • 『少女マギー―南アフリカ・アパルトヘイトをのりこえて』ポプラ社、1996年
  • 『子供は見ている - The family of child』(画・いわさきちひろ)講談社、1999年
  • 『華齢な女たち―beautiful age』中央公論新社、 2001年
  • 『わたしはネコロジスト』中央公論新社<中公文庫>、 2003年

関連書籍

脚注

外部リンク

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