吉田俊雄
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旧制福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)より海軍兵学校へ進む。病気のため留年し1931年(昭和6年)11月、123人中41番で卒業した(59期)。
1933年(昭和8年)4月少尉任官、翌年11月中尉、1937年(昭和12年)4月海軍大学校選科学生[注釈 1]。この間大尉に進級している。第28駆逐隊附、重巡洋艦「妙高」分隊長を経て、軍令部出仕(3班8課)となり、日蘭会商の随員を務めた。帰国後再び軍令部出仕となり、臨時戦史部に所属。第二次世界大戦中は主に軍令部3部8課に勤務。1942年(昭和17年)11月少佐。1944年(昭和19年)2月、軍令部勤務のまま永野修身元帥の副官となり[注釈 2]、また米内光政、嶋田繁太郎の副官を務めている。1945年(昭和20年)9月中佐。海軍省出仕となり、同年11月予備役となった。
戦後は公職追放を経て[1]、防衛庁事務官、小松製作所勤務のほか、旧日本海軍に関して数々の著作を残す。晩年に至るまで執筆活動を続け、2006年(平成18年)に死去。享年97。
著作
親族
- 父
- 吉田 幸雄(海軍中佐)
- 弟
- 吉田 隆(海軍技術少佐)
- 妻
- 吉田 キヨ(鶴田文八海軍中佐長女)
- 義弟
- 鶴田 功(海兵72期、海軍中尉)