吉田善一
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1925年8月19日、香川県三豊郡仁尾町(現在の三豊市仁尾町)にて生まれた[1]。家業が醸造業だったため、子供の頃からコウジやもろみなど、発酵過程における色の変化を不思議に思い、成長の中で自然が魅せる多種多様な色素に興味を持つようになった[2]。戦時中は、父親が召集された上に、原爆による被爆を経験した[2]。
戦後復員した父の許可を得て、色素研究で著名な吉田彦六郎のいる京都大学工学部工業化学科に進学した[2]。1949年にそこを卒業し、1954年に京都大学から工学博士号を取得した[1][3]。京都大学の助手を経た後、1961年に同大学の助教授に、1963年に教授に昇任した[1]。1974年には、スイス連邦工科大学およびダルムシュタット工科大学の客員教授を務めた[1]。日本の有機化学分野の国際交流および人材育成を目的として、国際有機化学京都会議を主導し、第1回から第3回は組織委員長を、第4回以降は議長として携わった[4]。また、この国際会議を継続するために、私財を投じて国際有機化学財団を設立した[4][5]。
その他の学外委員として、日本化学会会長、近畿化学協会会長、日本学術振興会第116委員会委員長、文部省学術国際局学術審議会専門委員などを歴任した[4]。
1989年に京都大学を定年退官後、1990年から1996年まで近畿大学の特任教授を務めた[1][4]。2023年5月4日に亡くなった[3][4]。死没日を以って、正四位に叙された[6]。