吉良尊義

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生誕 正平3年/貞和4年(1348年
死没 不明
改名 義貴(初名)→尊義?
 
吉良尊義
時代 南北朝時代
生誕 正平3年/貞和4年(1348年
死没 不明
改名 義貴(初名)→尊義?
戒名 霊源寺殿
墓所 吉良庄岡山の霊源寺[1]
官位 中務大輔
主君 足利尊氏
氏族 後期東条吉良(下吉良)氏
父母 父:吉良満義
兄弟 満貞一色有義尊義岡山満康
橋田満長
朝氏
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吉良 尊義(きら たかよし)は、南北朝時代武将後期東条吉良(下吉良)氏初代。三河国東条城主。

吉良満義の子[2]として誕生。『尊卑分脈』・『系図纂要』・『養寿寺本吉良系図』など系図の多くは尊義としているが、同時代の記録(後述)では義貴(よしたか)となっている。江戸時代末期の嘉永6年(1853年)成立の『三河軍紀』に拠れば、足利尊氏より偏諱を受け「尊義」と名乗ったとするが[3]、尊氏没後に「義貴」を名乗っていることが明らかであり、仮に「尊義」を名乗ったとしても尊氏の偏諱であるとは言えない。

同時代の記録

『友山録』に正平23年/応安元年(1368年9月23日東福寺において寂光寺殿(吉良満義)の十三回忌が営まれた際、友山士偲が詠んだ法語が収められており、法要を営んだのが息子の「中務大輔従五位上」の「源朝臣義貴」であり、彼が「九歳之時」に満義が没したと記されている[4]

後期東条吉良氏の成立

脚注

参考文献

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