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一色有義

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生誕 不詳
別名 四郎
 
一色有義
安休寺にある吉良満義(右)・一色有義(左)父子の墓
時代 南北朝時代
生誕 不詳
死没 弘和3年4月8日(1383年5月18日)
別名 四郎
戒名 真西、積善寺殿
墓所 安休寺
官位 左馬助、左京亮
氏族 一色氏(清和源氏足利氏流、吉良氏庶流)
父母 父:吉良満義
兄弟 吉良満貞、一色有義、吉良尊義、岡山満康、橋田満長
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一色 有義(いっしき ありよし)は、南北朝時代の武将。吉良満義の次男[1]。吉良四郎、左馬助、左京亮。吉良流一色氏、永吉氏の祖と伝わる。兄弟に吉良満貞、吉良尊義、岡山満康、橋田満長がいる。

一色有義開創の安休寺(愛知県西尾市一色町一色中屋敷)
安休寺隣にある一色氏発祥之地の碑

吉良氏の一族で、三河国幡豆郡吉良荘(現在の愛知県西尾市)内一色郷(同市一色町)を領したことから「一色殿」と呼ばれた。有義以前、一色の地は足利泰氏の子である一色公深及びその子頼行が本貫の地としていたが、早い段階で関東へ移り住み、吉良氏が領することになった[2]。赤羽根城[3]に居住したと伝わる。

元弘の乱から中先代の乱を経て南北朝分裂、観応の擾乱にいたるまで父満義、兄満貞と行動を共にしたと見られるが、名前が記録に見出せず『太平記』などの軍記物語にも登場しないため詳細は不明である。

正平11年(1356年)に父満義が没すると、その菩提を弔うため、翌年、一色の地に安休寺を創建した。

弘和3年4月8日(1383年5月18日)没。法名は真西。積善寺殿と号した[4]。

有義の子孫については系図が残っておらず詳細は不明である。西尾市岩瀬文庫所蔵の『西尾草創伝』に「一色村ニ宗北ト云者ノ屋敷跡アリ」とあり、この宗北が赤羽根城主一色有義の直系の子孫であると書かれている。

上総左馬助

脚注

参考文献

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