吉野せい
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福島県石城郡小名浜町(現・福島県いわき市)に生まれる[2]。旧姓は若松[2]。少女時代から文学に親しみ、雑誌や新聞に短歌や短編を投稿する[2]。尋常高等小学校高等科を卒業後[1]、独学で小学校准教員検定に合格し[2]、1916年から2年ほど小学校に勤務する[3]。このころ平で牧師をしていた山村暮鳥に出会い、文学の指導などを受ける[3]。また鹿島村(現・いわき市鹿島町)の八代義定の書斎「静観室」に通い多くの書を読む[2]。
1921年(大正10年)3月、詩人の三野混沌(本名:吉野義也)と結婚、原稿や日記をすべて焼いて、好間村(現・いわき市好間町)北好間の菊竹山で開墾生活に入る[2]。
1970年(昭和45年)4月10日、夫の三野が死去する[2]。その後、草野心平の勧めで再び執筆活動を始め、いわき市内の夕刊紙「いわき民報」に2年間、断続的な連載をもつ[2]。1971年(昭和46年)には山村暮鳥夫婦との交友記『暮鳥と混沌』を刊行する[1]。
1974年(昭和49年)に短編集『洟をたらした神』を刊行、同作で翌1975年(昭和50年)に第6回大宅壮一ノンフィクション賞と第15回田村俊子賞を受賞する[4]。
1976年11月からいわき市立総合磐城共立病院に入院していたが、1977年(昭和52年)11月4日に死去する[2]。78歳没。戒名は永光院文錦清照大姉[5]。墓所はいわき市好間の龍雲寺にある[6]。