向山均
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東京市で海軍士官・向山慎吉の長男として生まれる[2][3]。父の死去に伴い、1911年(明治44年)1月12日、家督を相続し男爵を襲爵[1][1][4]。同年7月、東京帝国大学工科大学に入学し、1914年(大正3年)3月、海軍造兵学生となり同年7月に東京帝大工科大学電気科を卒業した[1][3]。
1914年7月10日、海軍造兵中技士に任官し横須賀鎮守府附となる[1]。以後、呉海軍工廠水雷部副部員、横須賀海軍工廠造兵部副部員、扶桑乗組、呉工廠水雷部部員、英国駐在、仏国駐在、兼造兵監督官、呉工廠検査官兼水雷部部員、兼海軍兵学校教官、呉工廠水雷部部員、兼呉工廠電気実験部部員、艦政本部員(一部三課)兼造兵監督官、兼連合艦隊司令部附、呉工廠電気部部員、兼海軍砲術学校教官、兼呉工廠電気実験部部員などを経て、1930年(昭和5年)12月1日、海軍造兵大佐に昇進[1]。呉工廠電気部長、海軍技術研究所電気研究部長を務め、1936年(昭和11年)12月1日、海軍造兵少将に進んだ[1][5]。その後、横須賀工廠造兵部長を務め、1940年(昭和15年)11月15日、海軍造兵中将に昇進し艦政本部出仕となる[1][5][6]。同年12月16日待命となり、同月21日に予備役に編入された[1][5][6]。
1941年(昭和16年)7月19日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選[7][8]。公正会に所属して活動し、1946年(昭和21年)4月17日に貴族院議員を辞職した[7][9][10]。その他、日本電気 (株) 本社顧問、(株) 小穴製作所専務取締役、商工省参与、内閣委員・企画院勤務、軍需省委員などを務めた[1][7]。
