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呉元善

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呉 元善(オ・ウォンソン、朝鮮語: 오원선/吳元善、1922年2月7日または1923年 - 1978年5月31日)は、大韓民国の軍医、海軍軍人(海軍准将)、海兵隊員[1]、政治家。原子力院院長、保健社会部長官、第7代韓国国会議員を歴任した[2]。本貫は海州呉氏[3]。

経歴

日本統治時代の忠清北道陰城郡出身。1943年または1944年セブランス医学専門学校(現・延世大学校)卒。1961年または1962年岐阜医科大学で医学博士取得[4]。1949年にセブランス医科大学講師を務めたが、1950年の朝鮮戦争中に大韓民国軍に入隊した。1955年から仁川陸軍病院長、大韓民国海軍医務参謀、海軍本部医務次監、海軍軍医学校校長を経て、5・16軍事クーデターの後の1961年6月から現役の海軍大領として第3代原子力院(現・原子力安全委員会)院長を約2年間務めた[4][1]。1963年に海軍准将として予備役に編入され、同年に第6代総選挙に出馬した。その後は三・一文化賞審査委員、高等選考委員、行政改革委員会委員を経て、第11代保健社会部(現・保健福祉部)長官(1964年5月11日~1966年4月14日[5])を務めて、1967年の第7代総選挙に出馬して当選した。また、民主共和党忠清北道第7地区党委員長・中央常任委員を務めたほか、医学協会長、初代~第6代大韓口腔保健協会長[6]、ハンドボール協会長、延世大学校理事、韓国工業検査社長、ハンセン病協会会長も務めた[7][2][8][9]。

1978年5月31日、ソウル市内の病院で肝臓疾患により死去。享年57[10]。

賞勲

人物

根気のある精力的な闘士であった[8]。

エピソード

5・16軍事クーデター以後、手続の不備により、国家再建最高会議が召集した初の国務会議に前任の原子力院院長である民間人の金良洙が出席したというミスが起きた。その後、海兵隊出身の最高委員の金東河の推薦により、海兵隊軍医官だった呉大領が急遽原子力院院長に就任した[1]。

原子力院院長在任中、院内に放射線医学研究室が設置された[1]。

脚注

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