第7代総選挙 (大韓民国)
1967年6月8日に行われた韓国の国会議員選挙
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基礎データ
選挙結果
- 投票者数:11,202,317名
- 有効票数:10,856,008票
出典:韓国中央選挙管理委員会の「歴代選挙情報システム」より引用
- 出典:金浩鎮『韓国政治の研究』李健雨訳(三一書房)238頁“(表8-4)第6・7・8代国会議員総選挙”。得票数はアジア経済研究所『「アジア動向年報」1972年版』と大韓民国国会ホームページの「政党別議席数及び得票現況」から。なお議席を獲得出来なかった政党(自由党・民主党・韓国独立党など8党)の得票については「その他の政党」として合算して掲載。
- 出典:『「アジア動向年報」1972年版』58頁 参考資料5「国会議員選挙結果」(1)地域区結果
解説
11政党の候補が立候補したが、第3党の当選者は大衆党の1名のみで、民主共和党(共和党)と新民党の二大政党が殆どの議席を占める結果となった。この選挙で共和党は、憲法改正[1]を単独で実施するために必要な3分の2議席を確保するために、事前不正票や票の売買・脅迫投票などの不正行為[2]を行ない3分の2を優に上回る議席を得た。対する野党・新民党は都市部では優位に立ったが、農山村部では軒並み共和党に敗北する結果となった。この不正選挙に対し学生達が抗議するデモを行なうと、朴正熙は共和党の議席を一つ新民党に引き渡すことを指示し、6名の共和党議員に不正選挙の責任をとらせ、党が除名する措置をとった[3]。また新民党は再選挙を求め、国会への登院を拒否する事態となった。そのため、与党共和党は単独国会開催を決め、7月10日に国会を召集した。そして、単独国会を合法化するために共和党内の国会議員13名を理由をつけて離党させ、無所属の院内交渉団体を結成することで御用野党をつくったが、10月5日に院内交渉団体として登録されたことから「10・5倶楽部」(10.5구락부)との名称がつけられた。
その後、11月6日に与野党全権代表者会談を開催し、(1)朴大統領の鎮海発言[4]によって不正選挙の事実を認め、謝罪したものとみなす、(2)不正選挙区の再選挙や関係者の引責問題は特別委員会で審議する、(3)単独国会は既成事実として、その国会で処理された案件は特別国政監査を持って追認、(4)選挙不正の再発防止のための保障立法を行なうこと等で合意し、11月29日に新民党所属の国会議員は国会に登院した。
- 女性当選者3人(地域区1人/全国区2人)[5]
| 党派 | 合計 | 地域区 | 全国区 |
|---|---|---|---|
| 民主共和党 | 1 | 0 | 1 |
| 新民党 | 2 | 1 | 1 |
| 合計 | 3 | 1 | 2 |
- 女性議員比率1.7%
当選議員
小選挙区
民主共和党 新民党 大衆党
繰上当選
補欠選挙
| 年 | 日付 | 選挙区 | 当選者 | 当選政党 | 欠員 | 欠員政党 | 欠員事由 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1968 | 9.24 | 全羅北道高敞郡 | 慎鏞南 | 大衆党 | 慎鏞南 | 無所属 | 不正選挙により党除名、のちに辞職 |
| 全羅南道和順郡・谷城郡 | 梁会璲 | 新民党 | 奇世豊 | 無所属 | 不正選挙により党除名、のちに辞職 | ||
| 忠清南道扶余郡 | 金鍾翊 | 民主共和党 | 金鍾泌 | 民主共和党 | 朴正煕牽制のために政界引退宣言により離党及び辞職 | ||
| 1969 | 2.28 | 全羅南道羅州郡 | 李浩範 | 民主共和党 | 李浩範 | 民主共和党 | 当選無効 |
| 8.14 | 全羅南道宝城郡 | 李重載 | 新民党 | 梁達承 | 民主共和党 | 当選無効 | |
| 12.5 | 慶尚南道昌寧郡 | 成楽絃 | 民主共和党 | 成楽絃 | 新民党 | 三選改憲に賛成したため、新民党の自主解散により議員職喪失 | |
| 1970 | 5.22 | 慶尚南道忠武市・統営郡・固城郡 | 崔奭林 | 民主共和党 | 崔奭林 | 民主共和党 | 選挙無効 |
