和久是安 From Wikipedia, the free encyclopedia 和久 是安(わく ぜあん、天正6年(1578年) - 寛永15年8月21日(1638年9月28日)[1])は、安土桃山時代末期から江戸時代前期にかけての武士、書家[2]。豊臣秀頼の右筆を務め、のち伊達政宗に仕えて仙台藩士となった[2]。名は俊英[2]。字は宗友[2]。通称は半左衛門[2]、出雲[1]。是安は号[3]。父は和久宗是、母は和久掃部の娘[2][3]。 天正6年(1578年)、大坂に生まれた[3][2]。近衛信尹に学び、三藐院流(近衛流)の書を修めた[3][4]。また、画にも巧みであったとされる[2]。 父・宗是が豊臣秀吉に仕えた縁により、是安も豊臣秀頼の右筆を務めた[1][4]。慶長19年(1614年)10月、大坂冬の陣前夜の情勢下で、秀頼の密命を帯びて伊達政宗に会うため仙台へ向かい、下野国小山で政宗と会見した[1]。政宗は是安を伴って伊豆国三島の徳川秀忠のもとに赴いたが、是安は20日余り拘禁されたという[1]。 大坂の陣後の元和2年(1616年)5月26日、秀忠は是安を赦し、政宗のもとへ送った。是安は1000石を与えられて政宗の近習となった[1][2]。その後は領地である陸奥国栗原郡沼倉村に居住し[1]、仙台では書法の伝授にもあたったとされる[4]。寛永15年(1638年)8月21日、61歳で死去した[1][2]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 5 6 7 8 小松茂美『墨香秘抄 : 二十四の古筆見聞記』2版、芸術新聞社、1986年、249-251頁。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 『和久是安』 - コトバンク 1 2 3 4 『和久是安』 - コトバンク 1 2 3 “和久半左衛門筆色紙”. Keio Object Hub. 慶應義塾ミュージアム・コモンズ. 2026年4月4日閲覧。 Related Articles