和妃ナラ氏
父の成文(チェンウェン)は正二品右侍郎に任じられたが、汚職罪で官位を剥奪され投獄された。嘉慶15年(1810年)、すでに87歳と老齢のために恩赦を受けた[2]。
ナラ氏は綿寧(後の道光帝)の府邸に入り、官女子(側女)となった。嘉慶13年(1808年)、奕緯(後の隠志郡王)を産んだ。嘉慶帝を喜ばせ、ナラ氏は側福晋(側室)に封じられた。
道光帝の即位後、嘉慶25年(1820年)9月5日に「和嬪」に封ぜられた。道光3年(1823年)、和妃に封ぜられた。その後、奕緯が失意のうちに早世した。道光16年(1836年)4月4日、和妃は薨去した。慕陵の妃園寝に陪葬された。