喰違の変
1874年に東京で起きた岩倉具視の暗殺未遂事件
From Wikipedia, the free encyclopedia
事件の背景
暗殺未遂事件
明治7年(1874年)1月14日夜、公務を終え、赤坂の仮皇居(前年の火災により赤坂離宮を皇居としていた)から退出して自宅へ帰る途中だった岩倉の馬車が、赤坂喰違坂にさしかかった際、襲撃者たちがいっせいに岩倉を襲った[1]。襲撃者は高知県士族で、もと外務省に出仕していた武市熊吉ほか、武市喜久馬、山崎則雄、島崎直方、下村義明、岩田正彦、中山泰道、中西茂樹、沢田悦弥太の総勢9人(当初は10人だったが、襲撃前夜の宴席で殺傷事件を起こし、黒岩成存が代表して捕らわれていた[2])。いずれも西郷や板垣に従って職を辞した元官僚・軍人であった。岩倉は襲撃者の攻撃により、眉の下と左腰に軽い負傷はしたものの、皇居の四ッ谷濠へ転落し、襲撃者達が岩倉の姿を見失ったため、一命を取り留めた。ただし、精神的な動揺は大きく、公務復帰は一ヶ月後の2月23日となった(この療養中に佐賀の乱が発生している)。