嘉納治郎右衛門 (九代目)
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岡山県出身[2]。神戸市東灘区在住[2]。貴族院議員や山陽銀行(現:中国銀行)頭取を務めた土居通博の次男に生まれる[2][3]。
1919年(大正8年)に八代目嘉納治郎右衛門(本嘉納家8代目当主)の養子となり、本嘉納商店取締役に就任[2]。1923年(大正12年)関西学院高等商業学部を卒業[2][3]。1935年(昭和10年)3月に、8代目死去と同時に前名・文治を改め治郎右衛門を襲名し、社長に就任[2][3][4]。以来、25年の長い間社長の重責を務め、1960年(昭和35年)会長[2][3]。その他、灘商業銀行や富士生命保険の役員も歴任した[1]。
灘育英会、甲南高等女学校、神戸女子薬科大学(現:神戸薬科大学)の理事となり、育英事業に貢献するとともに、日本酒造組合中央会理事などの公職にあったが、戦後、公職追放令により辞任した[3]。
1951年(昭和26年)追放が解除されると、1952年(昭和27年)私財を投じて財団法人秋香報恩会を設立[3]。