四季穂

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出生名 佐藤 洋子
生誕 (1956-08-24) 1956年8月24日(69歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
四季穂
出生名 佐藤 洋子
生誕 (1956-08-24) 1956年8月24日(69歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
ジャンル ポップ・ミュージック
職業 歌手タレント
活動期間 1981年 - 1987年
レーベル 日本コロムビア
事務所 スパーク104

四季穂(しきほ、1956年8月24日[1][注釈 1] - )は、主に1980年代に活動していた日本の元タレント歌手東京都出身[1]。本名、佐藤 洋子[4][1]。身長160cm[4][5]。当時所属していた事務所は「スパーク104」[5]

中学・高校時代はバスケットボールの選手でも活動[1]

1974年のテレビドラマ『われら青春!』(日本テレビ)に憧れて教師を目指そうと思い、体育教師を志望して日本女子体育大学教養学部に進学[4][2][6]。しかし3年生の時に身体の故障で教師の道は断念[4]、大学も結局休学した後退学、両親からも勘当同然の状態になる[1]

その後、「スクラッチ」というガールズバンドでも活動[7]1980年頃にアルバイトをしていた東京・青山のスナックで、所属となる事務所のマネージャーと知り合ってスカウトされたのがきっかけで芸能界入り[4][2]1981年10月、『独占!女の60分』(テレビ朝日)のアタッカー(リポーター)でデビュー[2]。独占!女の60分のプロデューサーは、四季穂の起用理由を「顔よりも根性」だったと話している[6]

タレント時代は「欲求不満解消タレント」「4次元タレント」とも言われたことがある[3]

バラエティやテレビドラマ中心に活動していたが、「テレビでの自分のイメージと歌手としての自分のイメージとにギャップがある」ことを感じ、1985年頃にテレビ出演を辞めて歌手としてのライブ活動一本に絞る[3]。そして再びロックバンドのボーカルとしても活動していたが、歌手としては売れず、1987年頃、30歳の時に引退[3]。その後、自身を見出してスカウトし、プロデュースをしてきたマネージャー(後に芸能プロ専務)と結婚。子供にも恵まれ、引退後に掲載された週刊TVガイド・1990年2月9日号「TVあの人は今」コーナーでは主婦としての近況を伝えている[3]

人物

  • 姉が二人いる[2]
  • 芸名は、活動が一年中四季を通じて実り豊か()であるようにという意味を込めて名付けられた[4]
  • がなり立てるのが似合うような声質が特徴[4]。しかし高校生時代までは自分の声の音域はソプラノで、天地真理のものまねが上手かったほどだったという[4]
  • 芸能界で活動していた当時の外見は、髪は刈り上げで太い眉毛という顔[4]、服はズボンスタイルが主という外見が特徴で、当時スカートは制服以外で履いたことが無かったという[4]。刈り上げの髪型については「芸能界の中で、多分私が一番早かったんじゃないかと思う」と話している[7]。なお芸能界デビュー前は、髪は胸辺りまで伸ばしていたという[8]
  • 大学生時代から芸能界デビューするまでの間に多くのアルバイトを経験。保険会社勤務から、ガソリンスタンドの洗車係、ビル清掃、宣伝カーのアナウンス、喫茶店のウエイトレスから汚染処理、死体拭きに至るまでなど約30種類の仕事をしていた[1][2][7][9]
  • 書道4級、そろばん・簿記それぞれ2級、自動車はB級ライセンスの免許を所持しており[4]、当時愛車はジープだったことがあった[4]

出演

ディスコグラフィー

脚注

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