四季穂
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1974年のテレビドラマ『われら青春!』(日本テレビ)に憧れて教師を目指そうと思い、体育教師を志望して日本女子体育大学教養学部に進学[4][2][6]。しかし3年生の時に身体の故障で教師の道は断念[4]、大学も結局休学した後退学、両親からも勘当同然の状態になる[1]。
その後、「スクラッチ」というガールズバンドでも活動[7]。1980年頃にアルバイトをしていた東京・青山のスナックで、所属となる事務所のマネージャーと知り合ってスカウトされたのがきっかけで芸能界入り[4][2]。1981年10月、『独占!女の60分』(テレビ朝日)のアタッカー(リポーター)でデビュー[2]。独占!女の60分のプロデューサーは、四季穂の起用理由を「顔よりも根性」だったと話している[6]。
タレント時代は「欲求不満解消タレント」「4次元タレント」とも言われたことがある[3]。
バラエティやテレビドラマ中心に活動していたが、「テレビでの自分のイメージと歌手としての自分のイメージとにギャップがある」ことを感じ、1985年頃にテレビ出演を辞めて歌手としてのライブ活動一本に絞る[3]。そして再びロックバンドのボーカルとしても活動していたが、歌手としては売れず、1987年頃、30歳の時に引退[3]。その後、自身を見出してスカウトし、プロデュースをしてきたマネージャー(後に芸能プロ専務)と結婚。子供にも恵まれ、引退後に掲載された週刊TVガイド・1990年2月9日号「TVあの人は今」コーナーでは主婦としての近況を伝えている[3]。
人物
- 姉が二人いる[2]。
- 芸名は、活動が一年中四季を通じて実り豊か(穂)であるようにという意味を込めて名付けられた[4]。
- がなり立てるのが似合うような声質が特徴[4]。しかし高校生時代までは自分の声の音域はソプラノで、天地真理のものまねが上手かったほどだったという[4]。
- 芸能界で活動していた当時の外見は、髪は刈り上げで太い眉毛という顔[4]、服はズボンスタイルが主という外見が特徴で、当時スカートは制服以外で履いたことが無かったという[4]。刈り上げの髪型については「芸能界の中で、多分私が一番早かったんじゃないかと思う」と話している[7]。なお芸能界デビュー前は、髪は胸辺りまで伸ばしていたという[8]。
- 大学生時代から芸能界デビューするまでの間に多くのアルバイトを経験。保険会社勤務から、ガソリンスタンドの洗車係、ビル清掃、宣伝カーのアナウンス、喫茶店のウエイトレスから汚染処理、死体拭きに至るまでなど約30種類の仕事をしていた[1][2][7][9]。
- 書道4級、そろばん・簿記それぞれ2級、自動車はB級ライセンスの免許を所持しており[4]、当時愛車はジープだったことがあった[4]。