1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会の余興動物園のため2頭のゾウが来日した[2][1]。博覧会の終了後、そのうちの1頭が府立大阪博物館付属動物檻に移された[2][1]。これが団平である[2][1]。
1913年(大正2年)に動物檻が閉鎖となったため、飼育されていた動物たちは移動することになる[1][3]。動物檻のあった内本町から天王寺動物園までは3.3kmであり、深夜に歩かせて輸送された[2][4]。団平は住み慣れた飼育舎を離れることを嫌がり抵抗したが、動物檻の主任が木遣を囃すとサーカス時代を思い出したのか団平は歩き出した[4]。ゾウの街頭行進を一目見るべく大勢の見物客が押し寄せたこともあり10時間ほどの時間をかけて団平は天王寺動物園にたどり着いた[1][4][5]。
1926年(大正15年)10月12日に死亡する[1]。翌月、浅草花屋敷から来園した雌のゾウである常盤はかつて団平と一緒に動物檻で飼育されていたゾウであったが、再会することは叶わなかった[1][2]。