団栗山古墳
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別名
矢部団栗山古墳
位置
北緯34度32分21.12秒 東経135度46分50.90秒 / 北緯34.5392000度 東経135.7808056度座標: 北緯34度32分21.12秒 東経135度46分50.90秒 / 北緯34.5392000度 東経135.7808056度
形状
(推定)前方後円墳
| 団栗山古墳 | |
|---|---|
| 別名 | 矢部団栗山古墳 |
| 所在地 | 奈良県磯城郡田原本町矢部(字藤ノ森) |
| 位置 | 北緯34度32分21.12秒 東経135度46分50.90秒 / 北緯34.5392000度 東経135.7808056度座標: 北緯34度32分21.12秒 東経135度46分50.90秒 / 北緯34.5392000度 東経135.7808056度 |
| 形状 | (推定)前方後円墳 |
| 規模 | 墳丘長50m |
| 埋葬施設 | 木棺直葬? |
| 出土品 | 武器・馬具・須恵器・土師器、(伝)玉類 |
| 築造時期 | 6世紀前半 |
| 史跡 | なし |
| 地図 | |
古墳の位置
団栗山古墳(だんぐりやまこふん)は、奈良県磯城郡田原本町矢部にある古墳。形状は前方後円墳と推定される。史跡指定はされていない。
奈良盆地中央部、飛鳥川西岸の平野に築造された古墳である。1936年(昭和11年)の採土で古墳として発見されて副葬品が出土しており、現在は墳丘が大きく削平された状態で遺存する。
墳丘は、発見時の報告では南北110尺(約33メートル)・高さ2間以上(3.6メートル以上)の東西に長い円墳とするが、近年では前方部を東南東方向に向ける墳丘長50メートル程度の前方後円墳の可能性が高いとされる[1]。墳丘周囲には周溝が巡らされたとみられ、周溝を含めた古墳全長としては70メートル程度とみられる[1]。埋葬施設は詳らかでないが、木棺直葬と推測される[1]。昭和11年の発見時には、副葬品として環頭大刀ほか武器・馬具・須恵器・土師器が出土しており、そのほかに玉類が出土したともいう[1]。副葬品のうち、特に馬具の蛇行状鉄器は出土例が少なく、朝鮮半島との関係をうかがわせる資料として注目される。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀前半(TK10型式期)頃と推定され、TK43型式期の追葬が想定される[1]。当該時期としては一帯における盟主的な古墳と位置づけられ、南東にある延喜式内社の多坐弥志理都比古神社付近の古代氏族の多氏や、北東の「秦庄」では渡来系氏族の秦氏との関係が注目される[1]。
遺跡歴
出土品
蛇行状鉄器
東京国立博物館展示。須恵器 横瓶
東京国立博物館展示。昭和11年の発見時における出土品は次の通り[1]。
- 玉類 - 東京国立博物館所蔵外(当時の報告に記載)。
- 武器
- 環頭大刀柄頭 1
- 鉄鏃 長頸式 約30
- 残片 二括
- 鉾石突残片 2
- 鉾身 - 東京国立博物館所蔵外か。
- 馬具
- 銅鈴 1
- 銅鈴残欠 1
- 銅鈴残片 3
- 轡鏡板残片 1
- 轡残欠 1
- 辻金具 1
- 辻金具残欠 1
- 雲珠残欠 1
- 蛇行状鉄器 1
- 鉄器片
- 鐙の鎖 - 東京国立博物館所蔵外か。
- 須恵器 21 - 蓋坏2、蓋1、高坏3、広口壺1、短頸壺1、長頸壺1、台付長頸壺5、有蓋台付長頸壺1、横瓶1、𤭯5、残片一括。
- 土師器 - 長頸坩1、坏1、高坏片。
- その他
- 木片
- 朱末 - 東京国立博物館所蔵外か。
関連施設
- 東京国立博物館(東京都台東区) - 団栗山古墳の出土品を保管。
