国分盛氏
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盛氏の活動を直接伝える史料はないが、多くの点で食い違いを見せる二系図(佐久間洞巌が編集した「平姓国分氏系図」と古内氏蔵の「平姓国分氏系図」)が宗政・盛氏・ 盛重という系統については一致し、かつ宗政と盛重の実在は確かなので、盛氏の存在も確実視してよいだろう[1]。父は国分宗政。子はなかったとも、盛顕・盛廉・亘理元宗・天童頼貞に嫁いだ娘があったとも言われる。
佐久間編の系図によれば国分九郎盛氏は正六位上弾正忠能登守。古内氏蔵の系図によれば、五郎二郎盛氏といい、能登守。佐久間編の系図によれば、天正9年(1581年)に71歳で死んだというから、生年は永正8年(1511年)となるが、あまり信を置くことはできない[2]。