国利民福の会事件
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概要
1987年1月、大阪府吹田市にて天下一家の会の元理事[2]平松重雄らによって国利民福の会が設立される[2]。無限連鎖講と同様のシステムをとっていたが、当時の無限連鎖講の防止に関する法律が「金銭の授受」のみを罰則対象に挙げていたことに着目し、国債30万円分を購入して、それを加入権利として授受し、会が指定する上位会員2人に15万円ずつ郵送するというシステムをとった[3]。ただし、資金調達を目的として、一部の会員の間で現金のやりとりがあったが、これは1988年当時でも違法となっていた[4]。また、勧誘の際には国民金融公庫から無担保融資がうけられるとしていた[5]。
入会に際しては上位会員に送る国債とは別に、6万円の収入印紙を購入したうえで、それを会の本部に送ることを要件とした[6]。印紙代は国庫収入となり、会の関係者の利益にはならない。このようなシステムや、国営化されることを匂わすことにより、政府関係者の意をうけた事業であることを装った[2]。
会の活動は国会でも問題となった[7]。その結果として、1988年4月に無限連鎖講の防止に関する法律について、「金銭の授受」から「金品の授受」へ条文を改正することで、国債等も対象にするようになった。この際に平松は同法の改正案が成立した時点での解散を表明し[8]、実際に同法が施行される前日の同年8月1日には正式に同会を解散している[9]。
同年、大阪府警が詐欺罪の容疑で平松らを逮捕した[10]。しかし、無限連鎖講の防止に関する法律の施行の前日に会が解散したことから、無限連鎖講としての摘発はできなかった。平松らは完全無罪を主張した。元会員のなかにもその主張に同意し、裁判費用のカンパを行ったり、食料品を送ったりする者がいたという[11]。しかし、1993年に大阪地方裁判所で懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受けた。元会長補佐の男性も懲役1年・執行猶予4年の有罪判決を受けている。無限連鎖講に詐欺罪が適用されたのは、この事件がはじめてであった[12]。平松らは判決は間違っているとして控訴することを表明したが[13]、結局控訴を行わなかったため、大阪地裁での判決が確定することになった[14]。
年表
- 1987年(昭和62年)1月 - 平松重雄らによって国利民福の会が設立。
- 1988年(昭和63年)2月2日 - 東京弁護士会が国利民福の会の法的規制を法務省や警察庁へ要望[15]。
- 同年2月23日 - 衆議院予算委員会内で国利民福の会の活動について言及される[16]。
- 同年3月14日 - 国利民福の会の会員が平松らに対して訴訟を提起[15]。
- 同年4月 - 無限連鎖講の防止に関する法律が成立[17]。このころから会は休眠状態となる。
- 同年8月1日 - 同会が解散。
- 同年10月 - 平松らが詐欺罪で逮捕される。
- 1993年(平成5年)4月 - 平松に大阪地裁で懲役3年・執行猶予5年、元会長補佐に懲役1年・執行猶予4年の判決がなされる。平松らは控訴せず、判決確定。