国史編修院
From Wikipedia, the free encyclopedia
明治政府による正史編纂事業の挫折後、文部省ではそれに代わる『大日本史料』編纂作業に重きが置かれていたが、1930年代に発生した国体明徴運動の影響を受けて、文部省教学局では国家主義思想振興のために通史形式の正史編纂の動きが強まっていた[1]。第二次世界大戦の勃発によって実施は延期されたが、1944年12月になってようやく準備組織である国史編修調査会が設置され[2]、実務を行う国史編修官の人選が進められた。そのような中、日本の終戦(無条件降伏)が発表され、文部省の編纂意図も「国体護持」へと変化してゆくことになった[3]。
1945年8月17日に国史編修院官制[4][5]が公布され、品川区上大崎の旧国民精神文化研究所の建物を庁舎として国史編纂院が発足した[1]。国史編修院長には山田孝雄、国史編修院国史編修官には小島小五郎、福尾猛市郎、田山信郎[6]、下村冨士男[7]、時野谷勝[8]が任ぜられ、坂本太郎と森末義彰は史料編纂官と兼任で任ぜられた[6]。しかし、GHQに国体護持の編集意図が察せられると、山田院長は辞任に追い込まれ(後に公職追放)、国史編纂院も翌1946年3月には廃止されることになった[1]。
脚注
- 1 2 3 時野谷勝「国史編修院」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)
- ↑ 国史編修調査会官制(昭和19年12月15日勅令第666号) - 国立国会図書館 日本法令索引
- ↑ 長谷川亮一「アジア太平洋戦争下における文部省の修史事業と「国史編修院」」『千葉史学』第46号、千葉歴史学会、2005年、14-37頁、CRID 1520290882321594880。
- ↑ 国史編修院官制(昭和20年8月17日勅令第476号) - 国立国会図書館 日本法令索引
- ↑ “国史編修院官制・御署名原本・昭和二十年・勅令第四七六号 - 国立公文書館デジタルアーカイブ”. 2023年11月5日閲覧。
- 1 2 『官報』第5538号, 昭和20年8月22日, 129頁 NDLJP:2962084
- ↑ 『官報』第5613号, 昭和20年9月26日, 156頁 NDLJP:2962116/3
- ↑ 『官報』第5641号, 昭和20年10月30日, 211頁 NDLJP:2962145/4