園正造
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京都市生まれ[1]。1910年に京都帝国大学理工科大学数学科卒業。1921年、京都帝国大学教授。
日本の数学界の黎明期を支えた数学者の一人である。エミー・ネーターらと同時期に、代数学の抽象化に大きな役割を果たした。分離可能性に関する研究は後に森嶋通夫によって経済学へ応用された。
豪快な人物であったらしく、祇園から人力車で大学へ出勤したという逸話を持つ。また、数学に留まらず哲学・宗教・思想にも強い興味を持ち、雑誌「改造」などに論文を発表している。京都大学硬式野球部の部長を務めた経験を持つ。
1945年、京大を退官。1961年に愛知県岡崎市百々町に移り住んだ[2]。1966年4月、勲二等旭日重光章受章。1968年秋、文化功労者受章。
1969年11月24日、老衰のため岡崎市の自宅で死去[3]。83歳没。