代数学
数学の一分野
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歴史
代数学の起源は古代バビロニアにさかのぼるとされる[2]。古代バビロニアでは、今日でいう一次方程式や二次方程式に帰着される問題を、数値的・算法的手続きによって解いていた。一方、古代ギリシアでは、ユークリッド『原論』に代表されるように、比や図形を中心とした幾何学的枠組みの中で数量関係が論じられ、後に「幾何代数」と呼ばれる見方も発達した[3]。
ディオファントス(3世紀頃)の『算術』は、未知数を含む問題を体系的に扱った著作として知られ、ディオファントスはしばしば「代数学の父」と称される[4]。ただし、その評価については、後世の数論への影響を重視する立場と、代数学そのものの独立を重視する立場とで見解が分かれる[5]。
「algebra」という語は、9世紀の数学者フワーリズミーの著書『約分と消約の計算の書』の書名に含まれるアラビア語 al-jabr に由来する[6]。この著作は、一次方程式および二次方程式の解法を体系的に論じた書物として重要であり、フワーリズミーは代数学を独立した学問分野として整えた人物の一人とみなされる[7][8][9]。
その後、インドの数学およびイスラム世界の数学において、代数学的手法はさらに発展した。ブラフマグプタは負数や零を含む計算規則を明示し、二次方程式の解法を論じた[10]。ウマル・ハイヤームは三次方程式を円錐曲線の交点として扱い、代数幾何学の先駆的業績を残した。シャラフ・アッ=ディーン・アッ=トゥースィも三次方程式の研究で知られる[11]。また、アル=カラジには {{{1}}} 型方程式の数値解法の研究が帰せられている[12]。
ヨーロッパでは、中世以降にアラビア語文献の翻訳を通じて代数学が受容され、レオナルド・フィボナッチらによって普及した。16世紀にはジェロラモ・カルダーノらが三次方程式および四次方程式の一般解を公表し、フランソワ・ビエトは文字による体系的記法を整備した。17世紀にはルネ・デカルトが『幾何学』において代数的記法を洗練し、解析幾何学の成立に大きな役割を果たした。
18世紀から19世紀にかけては、代数方程式の可解性や置換の研究が進み、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ、パオロ・ルフィニ、ニールス・アーベル、エヴァリスト・ガロアらの業績によって、方程式論は群論へと結びついた。19世紀には、リヒャルト・デーデキントやレオポルト・クロネッカーらの研究を通じて、代数的整数論や抽象代数学が形成され、20世紀には代数学は「構造」を扱う数学として大きく発展した[13][14]。
