土佐光吉
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作風
光吉は、中世から近世へ大和絵を橋渡しする役割を担った。伝世作には、桃山という時代精神を反映した、それまでの土佐派の絵師には見られないスケールの大きさと装飾性はあるけれども、同時代の絵師と比べると、土佐派の伝統と様式を重んじた保守的な作風は、新興勢力の好みとは合わず、腕をふるうのに十分な機会や条件を与えられなかったと考えられる。しかし、研究の進展で多くはないとされた光吉の作品が次々と発見され、しかもそれらは屏風や襖絵などの大作などが多く、光吉が桃山時代に流行した金碧障壁画の一翼を担っていたことが明らかとなった。また、譲られた粉本類を元に有職故実や古典解釈を踏まえた新たな大和絵の図様を生み出し、土佐派のみならず、狩野派や琳派、民間の町絵師たちにも普及していった。
現存する作品は、源氏物語を題材とする絵が多い。光吉には、土佐一得、光純、光明、光葛、光益、光継など多くの弟子がおり、大作や細密画をこなすため工房制作を行ったと思われるが、詳しいことはよく分からない。
代表作

- 源氏物語手鑑 (和泉市久保惣記念美術館) 1帖80面 1612年(慶長17年)重要文化財(2013年指定)
- 源氏物語画帖[1] (京都国立博物館) 紙本著色 27図 1613年(慶長18年)頃 重要文化財(2013年指定)。製作途中に光吉が亡くなったらしく後半は弟子とみられる長次郎の筆になる。
- 以上2点は確実に光吉の作品で、基準作として重要。
- 十二ケ月風俗画帖 (山口蓬春記念館) 紙本著色 画帖12図 重要文化財 伝土佐光吉。戦後の混乱期に売りに出され、海外流出を危惧した蓬春が無理算段の買い物をして入手した作品。
- 源氏物語図色紙 (石山寺)紙本著色 12面
- 曽我物語図屏風[2] (鳥取市・渡辺美術館) 紙本金地著色 六曲一双 無款だが、人物描写やモチーフの表現から光吉の作と考えられる。また、画中の人物たちが纏っている服飾の意匠は、室町時代末から桃山時代前半流行したデザインであり、16世紀後半に描かれた光吉の初期作だと推測できる[3]。
- 源氏物語図屏風[4] (関屋・御幸・浮舟) (メトロポリタン美術館) 紙本著色 四曲一双
- 源氏物語図屏風「胡蝶」 (ニューヨーク・バーク・コレクション) 紙本金地著色 六曲一隻
- 漂澪図屏風 (大倉集古館) 六曲一隻
- 賢木図屏風 (個人蔵) 紙本著色 二曲一双
- 明石・蓬生図屏風 (東京国立博物館) 紙本著色 六曲一双
- 若菜・帚木図屏風 (フリーア美術館) 六曲一双
- 源氏物語図屏風 (個人蔵) 二曲一双
- 源氏物語図屏風[5] (京都国立博物館) 紙本金地著色 六曲一隻
- 源氏物語図屏風 (個人蔵) 六曲一双
- 帚木図屏風 (個人蔵) 六曲一隻
- 足利義輝像 (「土佐派絵画資料」のうち 京都市立芸術大学芸術資料館) 紙本墨画 1枚 永禄10年(1567年)5月
- 足利義輝像(国立歴史民俗博物館蔵) 絹本著色 天正5年(1577年) 重要文化財
- 足利義輝像(真正極楽寺像)
- 足利義輝像(光源院蔵) 絹本著色 1560年代と推定
- 三好義継像(京都市立芸術大学芸術資料館蔵)
- 松に秋草図 (山種美術館) 紙本金地著色 二曲一隻
- 光吉作と言われるがそれを示す落款などはなく、なぜそう呼ばれるようになったかは不明。松の大木を中央左に描き、桃山時代に特徴的な巨木表現が大和絵にまで及んだ興味深い作例。沢庵宗彭が和歌を書いている。
- 関ヶ原合戦図屏風 (大阪歴史博物館) 八曲一双
