土佐山村
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| とさやまむら 土佐山村 | |||||
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| 廃止日 | 2005年1月1日 | ||||
| 廃止理由 |
編入合併 土佐郡土佐山村、鏡村 → 高知市 | ||||
| 現在の自治体 | 高知市 | ||||
| 廃止時点のデータ | |||||
| 国 |
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| 地方 | 四国地方 | ||||
| 都道府県 | 高知県 | ||||
| 郡 | 土佐郡 | ||||
| 市町村コード | 39362-2 | ||||
| 面積 | 59.22 km2 | ||||
| 総人口 |
1,227人 (推計人口、2005年1月1日) | ||||
| 隣接自治体 | 高知市、南国市、土佐郡土佐町、鏡村 | ||||
| 村の木 | ユズ | ||||
| 村の花 | タキユリ | ||||
| 村の鳥 | カワセミ | ||||
| 土佐山村役場 | |||||
| 所在地 |
〒781-3201 高知県土佐郡土佐山村土佐山127番地 | ||||
| 座標 | 北緯33度38分05秒 東経133度31分43秒 / 北緯33.63472度 東経133.52864度座標: 北緯33度38分05秒 東経133度31分43秒 / 北緯33.63472度 東経133.52864度 | ||||
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| ウィキプロジェクト | |||||
村名の由来
地理
人口
- 1873年には4000人近い3890人が居住していたが、第二次世界大戦後の高度経済成長期に農村部分であったことから、人口が高知市と京阪神に行くために大幅に流出し[4]、1955年には2508人、1960年には2285人になり、当時の高知県全自治体で2番目に人口の少ない自治体であった。その後も減少し続け、高度経済成長期終了時の1975年頃には1500人台になり2000年頃までしばらく横ばいの状態が続いた。21世紀に突入すると再び減少し、高知市との編入合併直前には1200人程、編入合併後の2010年には1083人になっている[5][6][7][3]。
面積
- 59.22平方キロメートル
気候
隣接自治体
歴史
沿革
- 1889年(明治22年) - 町村制施行に伴い、土佐郡土佐山村、高川村、桑尾村、広瀬村、東川村、中切村、梶谷村、西川村、菖蒲村、都網村が合併し、土佐山村が成立する。
- 1957年(昭和32年)12月22日 - 午後9時50分に高川で三沢飛行場から出発した米軍機が墜落する。機体は原形を留めないほど壊れたが、死者は出なかった。その後、機体は撤去され、村所有になり、残留物はスクラップ業者に引き取られ、その財源で駐在所の整備などの町のインフラを整えた[9][10]。
- 1965年(昭和40年)8月21日 - 昭和40年台風第10号によって当時の約1億7400万円の被害を受ける[11]。
- 1973年(昭和48年)3月 - 村章を制定する[12]。
- 1979年(昭和54年)4月 - 土佐山村役場を新築[13]。
- 1989年(平成元年)4月8日 - 村木・村花・村鳥を制定する[14]。
- 1957年12月22日に発生した米軍機墜落で救助したことを感謝する様子
1957年12月23日付高知新聞より - 1957年12月22日に発生した米軍機墜落の様子
1957年12月23日付高知新聞より
