土俗的三連画
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1935年に『日本狂詩曲』がチェレプニン賞第1席に入賞したのが縁で、伊福部昭は、翌年8月に来日したアレクサンドル・チェレプニンのもと、横浜において1ヶ月にわたり作曲指導を受けた。この時、チェレプニンは伊福部を厚遇し、無料で指導を行い、滞在費まで負担してくれている。また、伊福部の厚岸での生活に興味を示し、その印象を音楽で書き留めておくべき、と主張したが、実は、これ以前より伊福部は、同様の趣旨の室内管弦楽曲を作曲し始めていた。チェレプニンとは曲名や構成についても話し合い、その厚遇に報いるため、作品を献呈することを約束している。
厚岸へ戻った後、林務官の仕事の合間に作曲は続けられ、1937年2月18日に作品は完成[2]、チェレプニン夫妻に献呈されている。
副題は "Trois Tableaux pour Orchestre de Chambre"。ソロ楽器14人からなる室内管弦楽のための作品として書かれたが、1950年代までは作曲者自身の指揮による演奏以外は、弦は合奏の形で演奏されていた。