桓武朝の延暦16年(797年)外従五位下・内蔵助に叙任される。延暦18年(799年)長門守として地方官に転じる。延暦22年(803年)桓武天皇の皇太子時代における父の老の奉仕を賞され、弟の豊人・豊成とともに昇叙されて奈弖麻呂は内位の従五位上となり、槻本公から坂田宿禰姓へ改姓した。
平城朝では大同3年(808年)正五位下、大同4年(809年)造東寺長官に叙任される。弘仁元年(810年)薬子の変では嵯峨天皇側であったらしく、乱の発生に伴い従四位下・大和守に叙任されている。
弘仁9年(818年)2月4日卒去。最終官位は散位従四位下。