城の崎にて
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志賀直哉は1910年(明治43年)に『白樺』を創刊し、作品を発表している。1912年(大正元年)には実父との対立から広島県尾道に移住し、夏目漱石の奨めにより「時任謙作」の執筆に着手した(この小説はのちに『暗夜行路』の原型となる)。
1913年(大正2年)4月に上京したが、同年8月に里見弴と芝浦へ涼みに行き、素人相撲を見て帰る途中、線路の側を歩いていて山手線の電車に後ろから跳ね飛ばされ、重傷を負う。東京病院にしばらく入院して助かったが、療養のために兵庫県にある城崎温泉を訪れる[注釈 1]。その後は松江や京都など各地を点々とし、1914年(大正3年)には、勘解由小路康子(かでのこうじさだこ)と結婚する。1917年(大正6年)には「佐々木の場合」「好人物の夫婦」「赤西蠣太の恋」などの作品を発表し、同年10月には実父との和解が成立している。
事故に際した自らの体験から、徹底した観察力で生と死の意味を考え執筆され、簡素で無駄のない文体と適切な描写で無類の名文とされている。
「城の崎にて」は1913年の経験を3年半後の1917年に作品化したものだが、その間に同じ題材を扱った「いのち」と題された草稿(1914年執筆と推定)が残されている[2]。