城山昇
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特色・人物
原稿作成は、まずハコ書きして、あとは一気に仕上げるタイプだという[6]。
様々なジャンルの作品を手掛け、特に日常生活を題材にする作品(いわゆる日常系)を得意とする[6]。
仕事については「いつも試験勉強をしてるみたい」と苦労を明かす一方、「終わった後のホッとした解放感、その喜びが心地いいから苦しみながらもやめられない」と語っている[6]。また、スランプの際は、入浴した湯船の中でアイデアを思いつくことが多いといい「人間ハダカになってしまうと、なにかが吹っ切れるのか、風呂のなかでアイデアが浮かぶことが多い」と話している[6]。
サザエさん
アニメ『サザエさん』では、1969年の第一回放送(「お父さんはノイローゼ」)から脚本を担当[7][8]。開始から現在まで参加する数少ないスタッフの一人で、脚本家としては雪室俊一と共に最古参のメンバーである[4]。
城山は元々、TCJ在籍時(1966年頃)に『サザエさん』アニメ化の企画に携わっており、その時は実現に至らなかったものの、退社後に後身会社であるエイケンがそれを実現。かつての企画に関わった城山にエイケンが「協力してほしい」と連絡したことで参加することとなった[4]。
初期は、初代プロデューサーの松本美樹から多くのアドバイスを受けたという[4]。1985年までは辻真先、雪室俊一と共にメインライターを務め、同年に松本美樹が降板した際には城山も一時降板したが、雪室と共にすぐに復帰[9]。以降も、作品の中心的な脚本家として活動している[10]。
脚本執筆の際は、長谷川町子による原作の4コマ漫画の品格を落とさず世界観を表現することを意識しているという。また、1話の約7分という短さや松本美樹のアドバイスから、長いセリフや説明ゼリフは極力減らし、無駄のない画や演出だけでわかるストーリー作りも意識している[4]。
作品には、自身の経験や体験をなるべく取り入れる「日常生活の“活写”」を信条にしており、サザエら主婦の気持ちを理解するためスーパーへよく行くなど、人間観察は欠かさないという。ただし「『サザエさん』の世界は近松門左衛門の虚実皮膜論だ」と述べ、事実だけを書くドキュメンタリーにはならないよう、虚構と事実の間をうまく描くことは留意しているという[4]。
好きなキャラクターはマスオだという。また、三郎さん(サブちゃん)のキャラクター設定を考案したのは城山である[4]。
原作者・長谷川町子の姉である長谷川毬子とは交友があった[4]。
近年のインタビューでの目標・抱負には「時代がどんどん移り変わっていくなか、作品の中ではなるべくズレを感じさせないように書いているつもりですが、そことの戦いではあるかと」「これからも変わらず、人間関係の温かみを大切にして描いていきたいと思っています」と語っている[4]。