執心鐘入

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執心鐘入(しゅうしんかねいり、沖縄語:シューシンカニイリ)は、玉城朝薫が創作した組踊の演目である[1]

1719年、尚敬王冊封の宴で上演された作品であり、『中山伝信録』には「鐘魔事」と記される[1]。玉城朝薫の作品群のうち、いわゆる「朝薫五番」の一つに数えられ[2]、美少年中城若松に恋慕した宿の女が執心の末に鬼女へ変じる筋立てを持つ[1]。本作には能『道成寺』の影響が見られるとされ[1]、研究上も道成寺伝説や能『道成寺』との関係、ならびに作品の主題と構成が論じられてきた[2]

本作は玉城朝薫の作であり、1719年の尚敬王冊封の宴で上演された作品として紹介されている[1]。竹鼻美玖は、組踊が冊封使歓待の式典の余興芸能として創作されたこと、また最初の組踊上演が享保4年(1719年)の重陽の宴であったことを指摘する[2]。同論文は、『執心鐘入』を「二童敵討」「銘苅子」「孝行の巻」「女物狂」とともに朝薫五番の一つと位置づける[2]

また、『中山伝信録』に本作が「鐘魔事」と記されていることも紹介されている[1]

あらすじ

中城若松は、首里へ奉公に向かう途中、日が暮れたため一軒の家に宿を求める[1]。家には若い女が一人で留守番をしており、親の不在を理由にいったんは断るが、相手が中城若松だと知ると、家に泊める[1]。夜になると女は若松に思いを打ち明けるが、若松はこれを拒み、逃げ出す[1]

若松は末吉の寺に駆け込み、座主に助けを求めて鐘の中に隠れる[1]。女は若松を追って寺に押し入り、ついには鬼女へと変じる[1]。座主と小僧たちは法力によって鬼女を説き伏せ、鎮める[1]

研究史

『執心鐘入』をめぐっては、能『道成寺』や道成寺伝説との関係、作品構成、舞台設定、人物像、鬼女像など、複数の観点から研究が行われてきた[2][3]。池宮正治は1986年の論文「組踊『執心鐘入』の原郷」において、「琉歌伝承説」「若松の原像」「鬼女の面影」「万寿寺の鐘」などの論点を立て、本作の背景を能や説話との比較だけでなく、琉球側の伝承・地理・寺院・人物像の問題を含めて検討している[3]。これに対し、竹鼻美玖は2024年の論文で、道成寺伝説・能『道成寺』・『執心鐘入』の構成差と主題に重点を置いて論じる[2]

構成と主題

竹鼻美玖は、『執心鐘入』を単純な「琉球版『道成寺』」とはみなしがたいとして、道成寺伝説、能『道成寺』、そして『執心鐘入』の構成差に着目する[2]。竹鼻は、道成寺伝説が「宿の女が客の僧に恋慕する」「僧の逃走と女の追跡」「女が僧を焼き殺す」「後の供養で二人が成仏する」という流れを持つのに対し、能『道成寺』は後日譚のみで成り立ち、女と鐘を中心に構成されていると論じる[2]。これに対して『執心鐘入』は、宿・逃走・追跡という前半部を持ちながら、女の鐘入りと変身を山場とするが、道成寺伝説のような成仏譚は持たないとされる[2]

竹鼻はさらに、本作の主題について、若松が僧ではなく首里へ奉公に向かう少年であることに注目し、道成寺伝説のような「仏教」と「それを妨げる女」の対立構造は成り立ちにくいと論じる[2]。そのため同論文では、『執心鐘入』の対立は、首里へ奉公に向かう若松、すなわち王府側の人物と、それを妨げる女とのあいだに見いだされ、最終的に若松が救われ、女が退散する結末は、王府側の勝利を示すものとして解されている[2]

『道成寺』伝説・能との関係

本作には能『道成寺』の影響が見られるとされる[1]。竹鼻も、『執心鐘入』が能『道成寺』との関連でしばしば論じられてきたことを認めつつ、両者の主題は一致しないと論じる[2]。竹鼻は、能『道成寺』が鐘再興の後日譚のみで構成され、「女と鐘」を物語の主眼とするのに対し、『執心鐘入』は前半の宿の女と若松の問答、若松の逃走、女の追跡を描くことによって、女が鬼女へ変貌する原因を示している点に特色があると整理する[2]

また池宮正治は、本作の背景を考える際に、道成寺伝説や能との比較だけでなく、若松像、万寿寺の鐘、鬼女像の問題を独立した論点として取り上げる[3]。このことから、本作は本土の説話や能の影響だけでなく、琉球側の地理・寺院・伝承・人物像の文脈を含めて理解されてきたことがうかがえる[3]

上演と継承

国立劇場おきなわは、2025年12月13日の研究公演「琉球国時代の演出による舞踊と組踊『執心鐘入』」において、本作および関連舞踊が琉球国時代にどのように演出されていたかは明らかでないとしつつ、初演の1719年と19世紀、さらに明治時代以降では舞台構造や芸能の担い手の変化があったことを踏まえ、古文書や古図から舞台・衣装・演出に関わる記録を調べて復元・上演する企画であると説明する[4]。このことから、本作は継承上演の対象であるだけでなく、歴史的な演出の復元研究の対象にもなっている[4]

脚注

参考文献

外部リンク

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