堀内宗平
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生い立ち
1878年(明治11年)9月19日、山梨県東八代郡、のちの黒駒村(現:笛吹市)に、堀内藤右衛門の三男として生まれる。1892年(明治25年)、兄の堀内良平に連れられて上京[1]。1898年(明治31年)、海軍兵学校に入学(第29期)。
海軍軍人時代
日露戦争において、浅間に第一分隊長として乗艦[2]。仁川沖海戦に参加した[2]。
1904年(明治37年)、連合艦隊第六艦隊に所属、旅順港口閉塞作戦に水雷艇付としての武勲により功五級金鵄勲章受賞。
1908年(明治41年)、陸奥湯長谷藩の第13代藩主であった内藤政養の次女、房子と結婚[3][注釈 1]。
1918年(大正7年)、戦艦伊勢の水雷長[5]。1921年(大正10年)、敷設艦勝力の艦長を務める[6]。
実業家時代
1923年(大正12年)4月、富士身延鉄道の社長であった小野金六の死去を受けて、兄の堀内良平が社長に就任[7]。堀内宗平も支配人として富士身延鉄道の経営陣に加わった[8]。