諸書の記述によって吉晴との続柄が違う。どの説も決定的なものは無く、金助母の続柄も変わる。
- 実子・病死説
『堀尾氏系図』[2]『寛政重修諸家譜』によると吉晴長男とされる。従って金助母は側室と推測される。
堀尾吉晴の子で病死としている。
- 従兄弟・戦死説
『古城跡由来記』[3]に依拠されるもので、叔父・方泰の実子、つまり吉晴の従兄弟で戦死であるとする。従って金助母は方泰室(紀州生まれ)である。
- 養子説
方泰実子の後に吉晴の養子となったとする『堀尾氏系図』と『古城跡由来記』の折衷案[4]。従って金助母は方泰室。
- 弟説
『武功夜話』には吉晴弟として物語が展開されている。金助母は泰晴室となった。
- 別系説
『名古屋市史』では吉晴・方泰とは別系統の堀尾氏族である子生和郷[5]の住人・堀尾権助[6]の子弟ではないかとの推論が独自展開されている。