Wikiwand AI

堀尾金助

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 天正元年(1573年)
死没 天正18年6月12日(1590年7月13日)
別名 金介
 
堀尾金助
堀尾金助とその母の銅像(愛知県丹羽郡大口町の八釼社)
時代 安土桃山時代
生誕 天正元年(1573年)
死没 天正18年6月12日(1590年7月13日)
別名 金介
戒名 逸岩世俊禅定門
主君 豊臣秀吉
氏族 堀尾氏
父母 父:堀尾吉晴、若しくは方泰
兄弟 金助、忠氏、氏泰
妻 なし
子 なし
テンプレートを表示

堀尾 金助(ほりお きんすけ)は、安土桃山時代の武士。

天正元年(1573年)出生。堀尾吉晴の子、若しくは堀尾方泰の子とされるが続柄には異説がある。

天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐に吉晴と共に参戦したが、6月12日に陣中で死去した。享年18。死因については病死説と戦死説があり、前者が有力とされるが、信頼に足る記録はなく未詳。弟の忠氏が吉晴の継嗣となった。

俊巖院

吉晴が菩提を弔うため妙心寺塔頭に俊巖院を建立する。寺名は金助の戒名「逸岩世俊禅定門」による。

熱田裁断橋

金助については、熱田の裁断橋を架け替えた際に付けられた金助実母の文である擬宝珠銘文にその名が見える。第二次世界大戦後には「日本女性三名文」[1]とされるこの裁断橋の擬宝珠銘文を基にした物語が多く創作された。

出自と死因

脚注

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks