春光院
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| 春光院 | |
|---|---|
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庫裏 | |
| 所在地 | 京都府京都市右京区花園妙心寺町42 |
| 位置 | 北緯35度1分26.73秒 東経135度43分10.12秒 / 北緯35.0240917度 東経135.7194778度座標: 北緯35度1分26.73秒 東経135度43分10.12秒 / 北緯35.0240917度 東経135.7194778度 |
| 宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
| 寺格 | 妙心寺塔頭 |
| 創建年 | 天正18年(1590年) |
| 開基 | 堀尾吉晴 |
| 文化財 | 銅鐘ほか(重要文化財) |
| 法人番号 | 5130005001158 |
豊臣秀吉に仕え、後、松江開府の祖となった堀尾吉晴が、長子堀尾金助を小田原の戦いで失ったので、その菩提を弔うため、天正18年(1590年)に建立した寺である。当初の寺名は金助の戒名「逸岩世俊禅定門」に因んだ俊巖院(しゅんがんいん)である[1]。堀尾家は三代忠晴が、大坂冬と夏の陣で徳川側に味方して功を立て、藩内の治政にも見るべきものがあったが、その忠晴が寛永10年(1633年)に病死し、嫡子がなかったため断絶した。その後、忠晴の息女が石川家に嫁いでいたことから、石川憲之が檀越になり、寛永13年(1636年)に、寺号を春光院と改称した。
近代日本を代表する禅思想家の久松真一は、戦中・戦後の一時期を春光院で過ごし、当寺院で鈴木大拙と禅や近代哲学について語り合った。春光院は日本の禅が世界の禅になるために重要な役割を果たした場所のひとつである。
伽藍
方丈前庭は、慶応3年(1867年)に造園されたもので、「さざれ石の庭」と称し、伊勢亀山城主で伊勢神宮崇拝者でもあった石川氏の嗜好をよく表し、伊勢神宮を型取り、内宮の森、外宮の社とし、天照大御神と豊受大御神をそれぞれ祀っている。この庭は庭中に拝石を据えた神道式の枯山水である。
方丈西庭は、「常盤の庭」といい、創建当初に堀尾吉晴が、造園したもの(本来、付属の庭で、「鶴亀の庭」)で、亀島あたりに当時の面影を残している。また、弘化5年(1848年)、裏千家三代千宗旦弟子首座の好みで作られた茶室「来也軒」に露地で通じている。
方丈は江戸中期以後の客殿建築様式の特色を完備した建造物である。 方丈襖絵は金箔画で、京狩野派永岳の筆、東の間「琴棋書画図」、室中「月と雁」、西の間「花鳥」、同上間「太公望」の題材が描かれている。
方丈裏の大書院は、淀城の寝所を移築したもので、丸木のままの長押や天井にも桃山時代の建物らしさが見られる。
前庭には、禅哲学者・鈴木大拙手植えのツツジが、初夏に花を咲かせる。