堀田正衡 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 江戸時代後期 - 末期(幕末)生誕 寛政7年(1795年)死没 安政元年10月12日(1854年12月1日)改名 昌六郎(幼名)→正衡 凡例堀田正衡 堀田正衡像時代 江戸時代後期 - 末期(幕末)生誕 寛政7年(1795年)死没 安政元年10月12日(1854年12月1日)改名 昌六郎(幼名)→正衡官位 従五位下、左京亮、摂津守、従四位下幕府 江戸幕府藩 下野佐野藩主氏族 堀田氏父母 父:堀田正敦兄弟 田村宗顕、正衡、毛利元世妻 正室:照子(堀親寚の養女、堀直起の娘)子 正修、土井利祐、北条氏恭、棟姫(石川義光室)、紀子(伊達邦命室)、娘(石川総参室)、娘(日野資訓室)養子:正頌テンプレートを表示 堀田 正衡(ほった まさひら)は、江戸時代後期から末期の大名、若年寄。下野佐野藩主。堀田家正高流分家7代。 下野佐野藩主(当時は近江堅田藩主)堀田正敦の五男。寛政8年(1796年)4月19日、将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月11日、従五位下・左京亮に叙任。後に摂津守に改める。天保3年(1832年)1月19日、父正敦の死去により家督を継いだ。天保5年(1834年)4月28日、奏者番に就任する。天保7年(1836年)9月4日、若年寄に就任する。天保14年(1843年)10月24日、退任して従四位下に昇進する。安政元年(1854年)に60歳で死去した。長男の正修は既に没していたため、その子・正頌が跡を継いだ。 人物 学問熱心であった。特に貝類の研究に熱心で、『観文介譜』を著している。絵画にも秀でた才能を残すなど文学的に優れていた。正衡の家臣・高橋源十郎の子・由一は日本初の洋画家となっているが、これは正衡の影響が大きいとも言われている。 系譜 父母 堀田正敦(父) 正室 照子 - 堀親寚の養女、堀直起の娘 側室 福永氏 子女 堀田正修(長男) 土井利祐(次男) 北条氏恭(七男) 生母は福永氏 棟姫 - 石川義光室 紀子 - 伊達邦命室 石川総参室 日野資訓室 関連作品 名奉行 遠山の金さん(1988年 - 1996年、テレビ朝日・東映) シリーズを通して、実際と同じ役職で遠山金四郎(演:松方弘樹)を表裏で支えた。若林豪が正衡[1]を演じた。 脚注 ↑ 本作での諱は正国。ただし、実在の正衡は遠山景元よりも2歳年下であったため、実際は彼の実父である正敦をモデルにしたのではないかとする向きもある。 表話編歴堀田家佐野藩藩主 (1832年 - 1854年)佐野家 佐野信吉1600-1613 富田信高の事件に連座し、改易 1613年から1684年まで幕府領 堀田家 堀田正高1684-1698 近江堅田藩に転封 1698年から1826年まで幕府領 堀田家 堀田正敦1826-1832 堀田正衡1832-1854 堀田正頌1854-1871 廃藩置県 典拠管理データベース 全般 VIAF 国立図書館 日本 Related Articles