1914年(大正3年)5月に尾張徳川家の家令となると、前年に東京麻布区富士見町に新居を構えていた同家第19代当主・徳川義親の意を受けて、名古屋市大曽根から東京への拠点移転に向けて、家政改革を進めた。
- 所有地整理の結果、名古屋では大曽根邸に尾張徳川家の最低限の拠点が集約されることになった。
- 1919年12月には同家の御相談人会で「美術館の建設資金と維持費を得るため、什器の一部を売却すること」が決議され、これを受けて1920年1月に義親が大曽根邸内に私立博物館を建設する計画を発表。堀は高橋箒庵に売り立ての世話を依頼して、重複品や不要品を中心に什器売却の準備を進め、1921年11月に東京美術倶楽部・名古屋美術倶楽部で入札を実施。売上金57万2千円は「美術館設立準備金」として運用され、のちに徳川美術館の設立・運営に充てられることとなった。