山城国京都で華族・堤功長の次男として生まれる。父の死去に伴い、1913年(大正2年)12月10日に子爵を襲爵した[4]。
1894年(明治27年)東京美術学校日本画科を卒業。工手学校、京華中学校などで教師を務めた。1912年、祭官となる。以後、大喪使祭官、名誉掌典、青山御所祗候などを務めた。
1916年(大正5年)6月17日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6]、研究会に所属して活動し、1925年(大正14年)7月9日まで2期在任した。
1940年(昭和15年)7月5日に隠居し[7]、家督は長男・経長が継承した。