大原重明
From Wikipedia, the free encyclopedia
東京府で伯爵・大原重朝の三男として生まれる[1]。学習院を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学文科大学国文科を卒業した[2][3]。父の死去に伴い、1918年(大正7年)12月28日、伯爵を襲爵した[1][4]。
郢曲を綾小路有良に、箏・琵琶を豊原喜秋に、篳篥を安倍季節にそれぞれ師事した[2][5]。1909年(明治42年)宮内省歌御会講頌御人数に任じられ、御歌所参候、歌御会始講頌などを務め、1950年(昭和25年)の歌会始まで披講、講頌の役をほぼ毎年担った[2][5]。
1922年(大正11年)5月11日、貴族院伯爵議員補欠選挙に当選し[6][7]、研究会に属して活動し1925年(大正14年)7月9日まで1期在任した[3]。その他、維新史料編纂会補助員、臨時帝室編修官補、大喪使祭官、皇太后大喪儀祭官副長などを務めた[2][3]。
著作
- 『歌会の作法』郢曲会、1927年。