塚越 (蕨市)
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地価
歴史
戦国時代に蕨城にいた渋川氏の家臣が同氏の没落後に開拓して「塚越村」もしくは「塚越新田」と称したと伝えられている。古くから棉栽培が盛んで、天保年間に高橋新五郎が新たな染色法や織機を導入して織物生産を始め、日本におけるマニュファクチュアの先駆者として知られている。塚越にある塚越稲荷神社の境内社機神社は高橋新五郎を祀ったものである。その子孫は事業を拡大させ、双子縞(時期によって「塚越双子」「足立双子」「埼玉双子」「東京双子」などのブランドを称している)は明治初期には日本国内各地に出荷され、豊田佐吉も織機改良のヒントを求めて塚越を訪れたという。なお、1889年(明治22年)に町村制の発足とともに隣接する蕨宿と合併して発足した蕨町の一部となっている。だが、昭和初期以後の洋装化の流れの中で織機工業は衰退して次第に住宅地化していくことになる。
1958年(昭和33年)以後、塚越が大きすぎるために分割され、塚越末広町・東町(1-3丁目)・丁張町(1-3丁目)が分離された。ところが、1966年(昭和41年)に住居表示の見直しが行われ、分離以後も(大字)塚越を称していた地域が中央・南町に分割され、反対に以前に分離された地域(南町に編入された丁張町1丁目を除く)が統合され、新たな塚越(1-7丁目)が成立した。
地名の由来
昔、諸国巡礼の僧侶が経文を埋めて塚(経塚)を築いたためにこの地を「古経塚腰」と称し、これが変化して「塚越」になったという伝承がある[4]。また、これとは別に現在の川口市芝中田に落ち武者を埋めた塚があり、その塚を過ぎた場所に集落にあったために「向う塚越」と称し、これが変化して「塚越」になったという伝承もある。