夏月 (駆逐艦)

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夏月
基本情報
建造所 佐世保海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
級名 秋月型
艦歴
計画 1941年度(マル急計画
起工 1944年5月1日
進水 1944年12月2日
竣工 1945年4月8日
除籍 1945年10月5日
その後 復員輸送に従事後、1947年にイギリスへ引き渡し後、解体
要目(計画)
基準排水量 2,701 トン
公試排水量 3,470 トン
全長 134.2 m
最大幅 11.6 m
吃水 4.15 m
主缶 ロ号艦本式缶×3基
主機 艦本式タービン×2基
出力 52,000馬力
推進 スクリュープロペラ×2軸
速力 33.0ノット (61.1 km/h)
燃料 重油:1,080 t
航続距離 8,000海里 (15,000 km)/18ノット
乗員 263名/446名[1]
兵装
レーダー
ソナー 九三式水中探信儀×1基
九三式水中聴音機×1基)[注 1]
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夏月(なつづき)は、日本海軍駆逐艦秋月型駆逐艦の11番艦である。計画番号順では後に「花月」が続くが、竣工としては秋月型で最後となった。艦名は「」の意味[5]

1941年(昭和16年)の戦時急造計画(マル急計画)仮称第364号艦[6]佐世保海軍工廠1944年(昭和19年)5月1日に起工[6]。同年12月2日に進水[6]1945年(昭和20年)4月8日に竣工し[6][7]呉鎮守府籍となった[8]。当初は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線表改訂により佐世保での建造に変更された[8]。また、当初は昭和20年3月末の竣工予定だったが、機銃の入手遅延により竣工期日が遅れた[9]

就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完海軍少将)に編入[7]。4月20日に残工事を終え[10]、翌4月21日に瀬戸内海に向けて出港する所[11]、工事の都合により出港予定日は4月23日[12]、4月24日[13]と繰り下げられ、4月25日に瀬戸内海に到着して訓練を開始した[14]。5月20日付で第三十一戦隊鶴岡信道少将)、軽巡洋艦北上」、駆逐艦波風」とともに海上挺進部隊を編成し[15]、次いで5月25日付で第四十一駆逐隊に編入される[16]。この間の5月3日には第十一水雷戦隊の臨時旗艦を務めた[17]。 6月16日、六連島灯台の193度3,100 m地点で触雷し小破[7][9]。佐世保に曳航の上、佐世保海軍工廠で7月1日から25日の間修理を行った[9]。終戦を門司で迎えた。「夏月」は竣工時点で終戦のわずか4ヵ月ほど前であり、大規模な戦闘には参加出来なかった。

復員輸送艦となった「夏月」(1945年)。2番砲塔と対空用の21号電探は撤去されているが、対水上用の22号電探はそのままになっている。

10月5日、除籍[7]。その後は復員輸送艦となる。横須賀で特別保管艦として係留の後[9]1947年(昭和22年)8月25日[9]浦賀で賠償艦としてイギリスに引き渡されるが、直ちに浦賀船渠に売却された。9月3日に特別輸送艦の指定を解かれた[18]。9月10日から解体が開始され、翌年3月1日に完了した[9][19]

歴代艦長

※脚注なき限り『艦長たちの軍艦史』360頁による。

艤装員長

  1. 西野繁 中佐:1945年2月15日 - 1945年4月8日[20]

駆逐艦長

(注)1945年12月20日以降は「艦長」[21]

  1. 西野繁 中佐/第二復員官/第二復員事務官/復員事務官:1945年4月8日 - 1946年12月28日[22]、以後1947年8月5日まで艦長を置かず。
  2. 松下寛 復員事務官:1947年8月5日[23] - 1947年9月5日[24]

脚注

参考文献

関連項目

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