多功宗朝

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時代 鎌倉時代中期
生誕 承久2年(1220年
別名 宇都宮宗朝、孫左衛門、五郎左衛門、宗阿弥陀仏
 
多功宗朝
時代 鎌倉時代中期
生誕 承久2年(1220年
死没 正応5年1月20日1292年2月9日
別名 宇都宮宗朝、孫左衛門、五郎左衛門、宗阿弥陀仏
官位 石見
幕府 鎌倉幕府
主君 藤原頼経頼嗣宗尊親王
氏族 藤原氏下野宇都宮氏多功氏
父母 宇都宮頼綱梶原景時の娘[1]
兄弟 宇都宮時綱横田頼業泰綱益子政綱
多功宗朝藤原為家室、三条実房
朝継[2]
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多功 宗朝(たこう むねとも)は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府御家人宇都宮頼綱の七男[3]多功氏を名乗る。宝治2年(1248年)に多功城[4]を築いて居城とし、多功氏を創始する。西上條旗頭職を主宰。吾妻鏡にも度々登場し、嘉禎4年(1238年2月17日に時の将軍藤原頼経が上洛して六波羅に入った際に、これに従っている。

延徳2年(1240年3月12日、番衛の任務を怠り同族の塩谷泰朝とともに幕府から出仕停止の処分を下されるが、この処分はほどなく解かれたと考えられ、翌年の仁治2年(1241年8月25日の将軍頼経の北斗堂供養、同年11月4日安達義景の鶴見別荘下向などに従っている。いつ頃より石見守となったかは不明だが、正嘉2年(1258年)の吾妻鏡の記述においては石見守となっているのに対して、弘長元年(1261年)の記述においては石見前司となっているので、この間に石見守を退任したものと考えられている。

霊光山蓮花院西念寺を建立。正応5年(1292年)正月20日、行年73歳にて没する。法名は宗阿弥陀仏。

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