享保年間に、備後国から招かれた塩業家・天野喜四郎[1]によって1723年から幾度もの拡張工事がなされ[2]、238haにおよぶ日本有数の大塩田に発展し、長年にわたりこの地方の重要な産業基盤となった。
代々天野喜四郎の子孫によって受け継がれたが[2]、1959年に国策により廃田された。現在は埋め立てられて、市の内外から製造・運輸・流通などの企業が集積した、新居浜市を代表する工業団地となっている。臨海部は港湾整備がなされて新居浜東港となり、立地する企業の重要な流通拠点として、またフェリーターミナル整備によって阪神方面への旅客フェリーが就航したり、海洋レジャー施設の新居浜マリーナ(マリンパーク新居浜)の整備などで、市民にとっても重要な拠点となっている。