多忠昭
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日本最強のスタジオ・ストリングス・セクションと言われた[3]″多(おおの)グループ″のリーダーとして活躍する。1970~80年代にかけて、ニューミュージックからアイドルポップスまで、歌ものに特化した数多の楽曲のレコーディングに参加した。ちなみにグループ名については、LPレコードのライナーノーツなどに記載されたクレジットによって、大野グループ、多グループ、Ohno Group、多弦楽グループ、多忠昭ストリングス、多忠昭アンサンブルなど、複数の異なる呼称が見られる[4]。
1970~80年代における日本の歌謡曲、ポップス全盛期には多忙を極め、一日5か所ほどのスタジオを回り、朝から深夜に及ぶレコーディングを続けるという日々がほぼ毎日続いたという。演奏に携わるメンバー達は高いプライドを持ち、強い結束力の下、洗練された旋律を奏でた[5]。
多に対する作・編曲家からの評判は、押し並べて温厚な人物であったとするものばかりだが[6]、時にはアレンジャーの書いた譜面の出来が不十分な場合、「これ書き直していらっしゃい。日を改めてやりましょう。今日はレコーディングは無し。帰りましょう。」と言って楽器を片付けて引上げてしまうこともあったといい[5]、演奏に関しては妥協を許さない厳しい一面もあった。
1995年、66歳で死去[5]。
音楽家による人物評
- 「多先生のストリングス・セクションは正確なリズム感と洗練されたビブラートで、多くの一流アレンジャーから圧倒的な支持を得ていました。[7]」
- 「すごく紳士的な人でした。優しい人。[5]」
- 「すごく優しい人です。支持も端的で的確。いいメンバーを集めていました。若く有能な人を連れてくる人でもありました。[5]」
- 「最初は『こんなスコア弾けないから』なんて突き返されたりしたけれど、丁寧に書き続けて粘り強く指名していたら、ようやく認めてもらえました。レコーディングの後、ミキシング・ルームに来た多さんが『そうだね、こうした方がいいね』って最高に分かり合えるようになりました。[8]』
- 「優しかったです。いろいろなことを教えてもらいました。[5]」
- 「素晴らしい弦書くね。二回褒めたのは初めてだよ。」と言われ嬉しかったと話す[5]。
多グループの主要メンバー
- ヴァイオリン:多忠昭、平尾真伸、加藤高志、落合孝男、加納佑春、服部千秋、友田啓明、佐藤良彦、秋山修、佐藤野百合、野沢勝正
- ヴィオラ:菅沼準二、小野耕之輔
- チェロ:高橋忠男、藤田隆雄
- コントラバス:松本武全