平成の大合併で1島1市となった対馬には昭和末期の時点で上県郡に上対馬町、上県町、峰町、下県郡に厳原町、美津島町、豊玉町の2郡6町が存在していたが、6町で正式な町歌を制定した事例は1993年(平成5年)に豊玉町が制定した「光るまち豊玉」などごく少数で[2]、その他の町では町民音頭や小唄(新民謡)、或いは昭和末期から平成初期にかけて上県町の「慕情かみあがた」[3]、美津島町の「海の彼方に」などのイメージソングが作成されるに留まっていた[2]。
「夢・この街」は1970年代から全国各地で野外コンサートの開催がブームになっていた流れを受け、厳原町の厳原地区青年団が1985年(昭和60年)8月31日に「サマーフェスティバル in TSUSHIMA」を企画したことを発端に「これまでにない対馬のイメージソングを作って発表しよう」という趣旨で作成された楽曲である[1]。団員で作詞・作曲の一切を担当した梅野昌弘は作成に当たり敢えて「対馬」の地名を含めず「どこの過疎の町でも歌える、若者が共感できるものにしようと考えました」としており、イベントの開催当日は梅野が所属していたアマチュアバンド「マーシャル」が発表演奏を行った[1]。
発表演奏後は厳原町だけでなく島内の他町を含めた大きな反響があり、1988年(昭和63年)に対馬連合青年団の自主製作扱いでシングル盤が作成された[1]。このレコードでは作詞・作曲・歌唱のいずれもバンド「マーシャル」の名義となっており、ジャケットの写真は当時の豊玉町役場から提供を受けている。また、NHK長崎放送局では3か月にわたりミュージックビデオのテレビ放送が行われた[1]。
対馬6町合併協議会では各町の町歌や町民音頭等の扱いについて明文の取り決めが行われておらず、豊玉町の「光るまち豊玉」をはじめいずれの楽曲も2004年(平成16年)3月1日の新設合併に伴い失効・廃止したものと解される。しかし「夢・この街」の作成主体は厳原地区青年団であり、旧厳原町役場が公式に制定した楽曲ではなかったため対馬市発足後も「対馬全域のイメージソング」として変わることなく演奏が続けられ、合併後に行われた市民投票では防災無線で毎朝7時の時報として演奏される楽曲に選ばれた[1]。
こうした経緯から、市が公的に制定(例規集に登載)した楽曲ではないものの事実上の「市民愛唱歌」的な地位を得ており、2018年(平成30年)6月にはレコード化30周年を記念して対馬市教育委員会の後援で「夢・この街コンサート」が開催された[1]。このコンサートでは市内を拠点に活動するバンド「ずんだれ」が「夢・この街」を原曲としてアレンジした新バージョン「はじまりの朝 ~夢この街~」の発表演奏が行われている[1]。