大井利江
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経歴
漁師の家に生まれ、岩手県立一戸高等学校時代は野球部に所属[2]、1年生からレギュラーとして活躍し県大会での優勝も果たした[要出典]。しかし、大井が2年生の時に、父親の怪我により、家計を支えるため高校を中退し、マグロの遠洋漁業の漁師となった[3]。だが大井が39歳の時に、ミッドウェー沖への漁に出ていた際、漁具が首に落下し頚椎を骨折、首と腕以外の自由を失い、握力もなくなった[2][3]。
リハビリで水泳を始め、その後、50歳の頃に円盤投げに出会い、徐々に記録を伸ばした[2][3]。コーチの瀬上健司の指導もあり[4]、55歳の2002年に自身にとって初の国際大会となるアジアオセアニアスポーツ大会で19m97の世界記録を打ち立てて優勝した[5] [6]。
2004年のアテネパラリンピックで銀メダルを獲得[7]、2006年のIPC世界陸上選手権大会では優勝を果たし[8]、同年のジャパンパラリンピックでは26m62の世界記録を樹立した[9]。2008年の北京パラリンピックには世界記録の保持者として出場し、記録の更新はならなかったものの、上位の2人が1クラス軽い障害の中[10]、3位で銅メダルを獲得し[11] [12]、2012年ロンドンパラリンピックにも出場した[13]。2016年リオデジャネイロパラリンピックでは、大井の障害クラスで円盤投げが実施されないことになったため、砲丸投げに転向して出場、7位に入賞した[14] [15]。