大倉重作
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| 大倉 重作 おおくら じゅうさく | |
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『大倉重作像』 (2013年10月31日撮影) | |
| 生年月日 | 1906年8月4日 |
| 出生地 |
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| 没年月日 | 1982年5月7日(75歳没) |
| 死没地 |
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| 前職 | 農業 |
| 称号 |
従五位 勲四等瑞宝章 |
| 親族 | 大倉重信(長男) |
| 当選回数 | 3 |
| 在任期間 |
1973年4月15日 - 1977年4月14日 1977年4月15日 - 1981年4月14日 1981年4月15日 - 1982年5月7日 |
大倉 重作(おおくら じゅうさく、1906年〈明治39年〉8月4日 - 1982年〈昭和57年〉5月7日)は、日本の政治家。位階は従五位。勲等は勲四等。
静岡県小笠郡千浜村議会議員、静岡県小笠郡千浜村助役、静岡県小笠郡千浜村長、静岡県小笠郡大浜町長、静岡県小笠郡大東町長(初~第3代)などを歴任した。
来歴
生い立ち
1906年(明治39年)8月4日[2]、静岡県小笠郡千浜村にて生まれた[1]。学校を卒業後[1]、家業である農業を継いだ[1]。また、帝国在郷軍人会においては千浜村分会の分会長を務めていた[3]。
政治家として

1951年(昭和26年)、千浜村議会議員選挙に立候補し[1]、初当選を果たす[1]。その後、千浜村の助役を経て[1]、村長に選出された[1]。1956年(昭和31年)に千浜村は隣接する大坂村と合併し大浜町となったが、大倉はその町長に就任した。着任後は、大浜町と接している城東村との間で合併を取り纏め、1973年(昭和48年)に大東町を誕生させた。
1973年(昭和48年)4月15日、大東町の初代町長に就任した[4]。同日より1977年(昭和52年)4月14日まで1期目を務め[4]、1977年(昭和52年)4月15日から1981年(昭和56年)4月14日まで2期目を務め[4]、さらに1981年(昭和56年)4月15日から3期目を務めた[4]。在任中は、当時注目を集めていた「構造改善」事業に積極的に取り組み[1]、町ぐるみでの構造改善の推進により全国的に名が知られるようになった[1]。その結果、大東町は1977年(昭和52年)に国から優良自治体表彰を受けるに至る[1]。これらの業績が評価され、1980年(昭和55年)4月には勲四等瑞宝章を受章している[5]。
しかし、3期目の任期のさなかである1982年(昭和57年)5月7日[6]、現役の町長のまま急逝した。後任の町長には神谷庄平が当選し、同年6月13日に就任した[4]。なお、死去に際して、従五位に叙された[7]。
政策
- 企業誘致の推進
- もともと大東町を含む小笠郡は、第一次産業中心の農村、あるいは、漁村が多かった。しかし、大倉は第二次産業を重視し、企業の誘致活動を積極的に行った。その結果、大東町への35社の企業の誘致に成功し[8]、町民の雇用の場を確保することにも繋がった[1]。大東町の第二次産業は、東海工業地域の中でも有数の製品出荷額を占めるまでに成長した。
- なお、企業誘致に当たっては、経営者の人物像を徹底して観察していた[9]。経営者の礼儀作法に欠けた点があった場合、もうその企業は相手にしなかったという[9]。当時の大東町を視察していた西桂町議会議長の石田光は、この逸話に感銘を受け「この町長にして農工一体の町づくりができたのだと感じました」[9]と述懐している。
- 構造改善事業の推進
- 土地改良などの構造改善事業に積極的に取り組み、町内全域において構造改善事業を展開した。町長在任中には、小笠山開拓建設事業などが行われている[10]。
- 大倉の施策は注目を集め、1982年(昭和57年)の農業土木学会の中央研修会に招かれ、農学者や工学者らを前に「協業と土地改良」と題した講演を行っている[11]。