大内沢
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河川
歴史
縄文時代中期の集落跡水沢遺跡がある[4]。また、平安時代に成立した[5]玉川領武光荘に属したと言われる[4][6]。江戸期初めは天領だったが、明和元年(1764年)から旗本古田氏の知行となる[4]。村高は『武蔵田園簿』で112石余、「元禄郷帳」で204石、「天保郷帳」で206石余[4]。 1889年(明治22年)の凍霜害をはじめとして、しばしば凍霜・雹害を受けた。大内沢村は分水嶺の東側にあるが秩父郡の郡管に属する外秩父十五ヶ村のひとつに数えられている[7]。明治時代に入って1884年(明治17年)には連合戸長役場制により、大内沢村は皆谷村・坂本村・白石村と共に秩父郡坂本村連合戸長役場区域に属した[8]。後の1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴いこの秩父郡坂本村連合戸長役場区域の4ヶ村は合併して槻川村となり大内沢村は槻川村の大字大内沢となった[4]。戦後の1956年(昭和31年)には槻川村が大河原村と合併し東秩父村を新設、東秩父村の大字となった[4]。
地名の由来
かつて流刑された皇子がこの地で大内と号したにことによる[4][6]。
沿革
- 1764年(明和元年) - 天領から旗本古田氏の知行となる。
- 1868年(明治元年)6月17日 - 廃藩置県により岩鼻県に所属、岩鼻県秩父郡大内沢村となる。
- 1871年(明治4年)
- 1872年(明治5年)10月10日 - 大区小区制の施行により第六大区第八小区に属する
- 1873年(明治6年)6月15日 - 入間県が群馬県(第1期)と合併し、熊谷県となる。大区小区は南第六大区第八小区に属した。
- 1876年(明治9年) - 第2次府県統合により、埼玉県の管轄となる。
- 1878年(明治11年)郡区町村編制法により大区小区が廃止され秩父郡に属する。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、秩父郡槻川村の大字大内沢となる。
- 1956年(昭和31年)8月1日 - 槻川村が大河原村と合併し東秩父村を新設、東秩父村の大字となる。
世帯数と人口
交通
鉄道
地内に鉄道は引かれていない。バス路線を使って寄居駅が利用できる。
バス
- 東秩父村営バス - 寄居線
道路
- 埼玉県道294号坂本寄居線
- 埼玉県道361号三沢坂本線 - 登谷山南方の僅かな区間のみが地内に相当する。