白石 (東秩父村)
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河川
歴史
縄文時代の住居跡及び平安時代の寺院跡である堂平遺跡、平安時代の寺院跡・シャクデン寺跡が残る[4]。平安時代に成立した[5]玉川領武光荘に属したと言われる[4]。『新編武州文書』によれば戦国時代には鉢形城秩父曲輪の掃除・営繕を命じられたことが天正14年3月13日の北条氏邦書に「拾間 白石」とあり、この「白石」が白石村の在地領主であるとみられている[4]。徳川家康の江戸入城後は、江戸期を通じて江戸幕府の直轄領である天領だった[4]。『武蔵田園簿』によりば村高は22石余、ほかに紙舟役125文[4]。「元禄郷帳」では95石余とされる[4]。『旧高旧領取調帳』では秩父郡代・木村飛騨守支配として95石余が計上されている。 白石村は分水嶺の東側にあるが秩父郡の郡管に属する外秩父十五ヶ村のひとつに数えられている[6]。明治時代に入って1884年(明治17年)には連合戸長役場制により、白石村は皆谷村・坂本村・大内沢村と共に秩父郡坂本村連合戸長役場区域に属した[7]。後の1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴いこの秩父郡坂本村連合戸長役場区域の4ヶ村は合併して槻川村となり白石村は槻川村の大字白石となった[4]。戦後の1956年(昭和31年)には槻川村が大河原村と合併し東秩父村を新設、東秩父村の大字となった[4]。1947年(昭和22年)のキャサリン台風では大きな被害を受け、またしばしば凍霜害・雹害を受けた[4]。
地名の由来
沿革
- 江戸時代 - 江戸幕府の直轄領である天領となる。
- 1868年(明治元年)6月17日 - 岩鼻県に所属、岩鼻県秩父郡白石村となる。
- 1871年(明治4年)10月28日 - 第1次府県統合により岩鼻県が廃止され、群馬県に編入。同年11月14日には入間県に所属、入間県秩父郡白石村となる。
- 1872年(明治5年)10月10日 - 大区小区制の施行により第六大区第八小区に属する
- 1873年(明治6年)6月15日 - 入間県が群馬県と合併し、熊谷県となる。大区小区は南第六大区第八小区に属した。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により、埼玉県の管轄となる。
- 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法により大区小区が廃止され秩父郡に属する。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、秩父郡槻川村の大字白石となる。
- 1956年(昭和31年)8月1日 - 槻川村が大河原村と合併し東秩父村を新設、東秩父村の大字となる。