1939年、東京に生まれる。幼少時より父に師事し絵を学ぶも画業では生計は立たず、「三十数回」も転職をしたと自著『ヤップの島の物語』に記している。1979年に日本を出てミクロネシアを放浪。最終的にヤップ島のマープ島にあるベチヤル(バチエル)村にたどり着き、当時、村の酋長であったベルナルド・ガアヤンの家の居候となる(後に義子)。
大内はガアヤンに依頼され、ガアヤンが盟友のジョン・タマグヨロンとともに建造しようとしていた航海カヌーの建造工程の記録を依頼される。これを受諾した大内は、後に「ペサウ」と名付けられたこの船の建造記録を取り、また1986年6月から7月にかけて行われたヤップ島~小笠原父島間の航海にも同行した。
大内はペサウの航海を見届けてしばらくした後、帰国。2005年に病没。現在は多磨霊園で眠っている。またペサウは園田学園女子大学に保存されている。また大内がヤップ島滞在時に残した日記類は国立民族学博物館に「大内青琥アーカイブ」として収蔵され、2010年に公開された。