大内青圃

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大内 青圃(おおうち せいほ、1898年12月12日 - 1981年2月21日[1])は、日本の仏師彫刻家日本芸術院会員。本名は正[1]。兄は洋画家の大内青坡

仏教学者大内青巒の子として東京府麻布区に生まれる[1]

1922年、東京美術学校彫刻科卒業[1]。在学中は、高村光雲に木彫を学び、水谷鉄也に塑造を学んだ[1]。1927年、日本美術院同人[1]。1936年以降は、帝展文展に出品し、戦後は日展や院展を中心に出品した[1]。ただし、日展が社団法人になった後は出品していない[1]

1933年、世田谷区で薬の製造販売をしていた久保川貞節氏が、渋谷で有名だった秋田犬ハチ公に感銘を受け、故上野英三郎教授の内縁の妻八重子氏と、吉川忠一渋谷駅長の許可を得、ハチ公の木像制作を大内に依頼。渋谷駅に設置する計画を立てた。資金集めのため、大内がハチ公の版画絵葉書の原画を制作した。しかし、ハチ公を有名にした斎藤弘吉と、ハチ公の像を制作し帝展に出展した安藤照は、木像よりも銅像の方が耐久性があると久保川と大内を説得し、計画を断念させた。大内は後に、安藤制作のハチ公伏臥像と逆向きの伏臥像を製作している[2]

※2025年4月21日、アジア歴史資料センターの公式サイトとSNSで、ハチ公木像を企画した久保川貞節が、ハチ公について外務省との連絡を取る人物だったことを証明する当時の資料を公開した。これにより、久保川について長年言われてきた、「ハチ公の像を作ろうと金集めを始めた素性の知れない老人」いう考えは誤りだったことが判明した[3]

1958年、日本美術院評議員[1]。1960年、院展で文部大臣賞受賞[1]。1963年、日本芸術院賞受賞[1]。1969年、日本芸術院会員[1]。1971年、勲三等瑞宝章受章[1]

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