大和田荘七
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安政4年2月11日(1857年3月6日)、越前国敦賀(現・福井県敦賀市)に生まれた。出生名は山本 亀次郎(やまもと かめじろう)[1]。父親は薬屋の山本三郎兵衛であり、兄の山本九郎左衛門は、大和田炭鉱株式会社取締役を務めた[2][3]。初代大和田荘七[注釈 1]に見込まれ、初代大和田荘七の長女万寿子と結婚して大和田家の婿養子となった[1])。1887年(明治20年)、30歳のときに2代目大和田荘七を襲名した。1892年(明治25年)、大和田銀行を設立した。
2代目大和田荘七は敦賀港の国際貿易港指定や港湾整備に尽力し、1899年(明治32年)には敦賀港が国際貿易港に指定された[5]。1907年(明治40年)、敦賀商業会議所の初代会頭に就任した。1916年(大正5年)、藍綬褒章を受けた[5]。1945年(昭和20年)、大和田銀行は三和銀行に吸収合併された[5]。1947年(昭和22年)1月30日、90歳で死去した[5]。墓所は来迎寺にある。
