大堀相馬焼
福島県浜通り北部の浪江町大堀で焼かれる陶器
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特徴
歴史
江戸時代の元禄年間に、相馬中村藩士の半谷休閑が大堀(現在の浪江町大堀)で陶土を発見し、下男の左馬に命じて日用雑器を焼くようになったのが始まり。浜通り北部を領していた中村藩は相馬野馬追の伝統を有しており、藩主相馬氏の家紋から繋ぎ駒や走り駒が意匠となっており、縁起物として好まれる。
中村城下(現在の福島県相馬市中村)の相馬駒焼が藩主相馬氏への献上品とされたのに対して、この大堀相馬焼は大衆向けの民窯として親しまれた。とりわけ、中村藩は陶磁器を特産物として奨励したため、江戸時代末期には100軒近い窯元が誕生し、中には農作との兼業も見受けられた。
大堀焼は戊辰戦争後に衰微したが、第二次世界大戦後に再興し、1978年(昭和53年)には国の伝統的工芸品の指定を受けた。又、大堀焼から連想して2000年代後半に生まれたご当地グルメが「なみえ焼そば」である。
2010年(平成22年)1月22日に地域団体商標に登録された[3]。
東日本大震災発生と福島第一原発事故の発生時には25軒の窯元があった。福島第一原発から10km圏に位置していた大堀の住民や事業者も避難・離散を余儀なくされた。協同組合と一部の作陶関係者は、福島県中通りの二本松市にある小沢工業団地内に移り、「陶芸の杜 おおぼり 二本松工房」を開いた。2021年(令和3年)3月に浪江町で誕生した「なみえの技・なりわい館」内に事務所および工房を移転し、業務を行っている。
なお釉薬の原料となる浪江町の砥山石は放射能汚染により採掘不可能となったが、震災前から採掘権により特定の窯元が独占していたため、他の窯元は組合経由で愛知県瀬戸市から採取された土を調合した釉薬を購入しており、その影響は少なかった。また福島県ハイテクプラザが砥山石と同じ発色をする釉薬を開発し代替釉薬による生産がされるようになった[4][5]。
浪江町での産地再興もめざされているが、実情としては大堀地区のみでつくられる焼き物から、大堀地区を由来とする福島県の焼き物として認識されている。各地の窯元では個性に富んだ作品も生まれている[6][7]。
- 主な窯元の所在地
- 県外(長野県)など
画像一覧
- 二重焼の湯呑
- 急須
- 急須
- 高浮き彫りの茶碗(メトロポリタン美術館所蔵)
- 瓢箪形の勿来焼の酒瓶(ロサンゼルス・カウンティ美術館所蔵)
