大蔵省では吉野良彦(のち大蔵事務次官)らと入省同期にあたる。1983年に財務官就任後、日米円・ドル委員会(1983年11月設置、のちの日米金融協議 (コトバンク))での東証のオフショア市場開設会合や、1985年のプラザ合意での政策決定交渉過程に、行天豊雄(国際金融局長)らと共に日本側事務方代表の財務官職として実務者協議に関わった。
のちに、プラザ合意が日本のバブル経済の直接的原因ではなかった点も述べている(プラザ合意#議論・評価、竹内道雄、金融政策#日本も参照)[1]。
2023年5月11日、心筋梗塞のため死去。94歳没[2]。